やがて雨は | Chiffon+

やがて雨は

ほんのわずかな時間だったはずだ。
「傘もってない……」
二人でコンビニで買い物をして、出ようとしたら雨が降っていた。
「俺ももってねえ」
走って帰っても濡れそうなどしゃ降りが、この軒先から出ていく気を奪う。ていうか、走りたくないし。
何となく走り出しそうな先輩の服を掴んで止めている今。
空を見上げて思案顔の先輩。
ちょっと買い物のつもりだったから財布と携帯しかもっていない上に誰のかもよくわからないサンダルの俺。
「傘を買うのもいささかもったいないでござるな」
店の中を振り返り、俺を見る。雨の中を出ていく気はないことを悟って手を離した。
別にこの間風邪をひいた先輩を心配していたわけではない。
走りたくないだけだ。
「そこにある傘パクっていけばいいんじゃねっスか?」
傘立てに沢山の傘。
似たようなビニール傘はどれがどれだか見分けがつかない。
「人の傘勝手に使うなんてよくないでござる!持っていかれた方はすごく嫌な気持ちになるんだから」
あ、今何か思い出しているな、と思いながら言葉を流した。
一人のときならともかく、今は本当にそんなことをしようとは思わない。
「ま、ちょっと待ってりゃやむだろうよ」
何となく、先輩とい
ると毒気が抜かれる気がする。腹立たしくもあるけれど居心地がいいような気もしたりする。
悪いときもあるけど。
「曇ってるなあとは思っていたけど」
こんなに突然降ってくるなんて思わなかったと先輩はなぜか俺にごめんと言った。
先輩のせいじゃない。特に気にしてはいない。でも何となく黙っていた。
「もうこのまま帰っては?」
「いや、何で?」
唐突な申し出に首をかしげる。家の方が遠い。先輩も俺も。
「濡れてもうちだったら大丈夫でしょう?」
確かにすぐに着替えたりできるからそうかもしれない。
「でも俺、鍵研究室なんすけど」
「そっか、じゃあダメだね」
何となく帰りたくなる。心の片隅がむずむずする。
「先輩は?」
「え?」
「持ってんの?」
「鍵?あ、あるよ!」
じゃあ問題ない、と俺は少し弱まった雨の中に一歩踏み出した。

「結構濡れたね」
玄関先でタオルを貰って水気を払う。
「先輩はそのまま風呂でも入ってこいよ」
もうコートは要らない季節だけれども、俺は手足が冷えていた。
「大丈夫でござるよ」
どうして?と不思議そうにたずねる先輩へのうまい言い訳を考えた。別に心配はしていない。
「いや、そのままでいいなら別にいいけど?」
「え?」
「いつもは気にしてるのに。いいんスか?」
何をどうするとはまだ何も言っていない。けれど何を想像したのか先輩があからさまに動揺していた。面白い。
でもまあこれで体を冷やしたままいることもないだろう。
「か、構わないでござるよ」
「は?」
「別に、そういうことがしたいなら、構わない、から」
段々と頬を赤らめるこの人を今どうするのが正解なんだろう。
とりあえず玄関から部屋の中に場所を移した。
先輩に触れると怯えたように身をすくませた。
それ自体は気にしない。冷えてはいるけどさほど濡れてもいない。ただそれの確認。
「じゃ、とりあえず脱いでくんない?」
着替えた方がとりあえずいいから。
「承知した」
でも、まあ誤解してんだろうなーと思いながら、誤解を解く気は更々ない。
それならそれでまあ悪いことじゃない。

「先輩やせた?」
結果的に暖まれば何でもいい。濡れた服を取り払った体に触れた。
「風邪引いたからかな」
身震いをして先輩は俺の服に手をかけた。不公平だと言いたげに。
「先輩風邪ひかない感じだけどそうでもねえんだな」
遠慮なくやっぱり冷えていたことを確認しながら掌がなぞる。温かい部分を探している。
「ひかないよ。でもいっかいひいちゃうとひどくなるみたいだね。ごめんね」
肩に顔を埋めながら、不公平をなくそうとするそのぎこちなさが少し可愛かった。
「でもありがとう」
可愛いなんて思ってしまったこと、うっかり風邪の心配なんかしてしまったこと、色々が気まずくて少し乱暴にしてしまう。
「別にそんなことどうでもいいぜ」
「でも、嬉しかった」
途切れぎみになる先輩の声に呼吸が混ざる。その感じに思考がふやけていく。
気づけば自分も外に出られない様に着崩れていた。半端に引っ掛かるのをそのままに、普段触れないところに触れる。
時折漏れだす声に不思議な征服感を覚えながら、理性をなくしてゆく。
「やっぱり恥ずかしいよ」
いつまでもどこかに残る理性が邪魔だ。二人とも我を忘れてしまえたら、いや、自分がそうなるのは嫌かもしれない。

涙目になる先輩を組み敷いて見下ろして思う。
我を忘れてこの表情すら正気に戻ったときに忘れてしまったら。
「いやだ、見ないで」
それはすごくつまらない。
「そんな顔して言われてもねェ」
ニヤニヤするのを抑える気は更々なく、先輩を追い詰めようと先へ進める。
耐えきれない声がする。
責め苛んでいる。ぞくぞくとする感覚が堪らなく心地いい。もっとそんな風になればいいとすら思う。
「先輩、痛い?あ、痛いわけねえよなー、こんな」
「やだ、言わないで」
「えー、事実じゃないスか。馴れたもんっスね」
わざとらしくからかえば、恥ずかしそうに表情をかたくする。けれどその中に愉悦のようなものが紛れ込んでいる。
楽しんでいる余裕も自分になくなってきているけれど、悟られないように玩んでいた。
「正直に言っちまってもいいんだぜ?」
先輩は熱のこもった声で小さく馬鹿、と呟いた。

「こんなつもりじゃなかったのに」
先輩の脚がびくびくと震えた。
「俺もそのつもりはなかったけどな」
労るわけでもなく与え続ける感覚に翻弄されてあられもない声を上げては噛み殺して、また耐えきれずに吐息が漏れるそんな様子を、沸き上がる嗜虐心と共に笑う。
「成り行きでこんなことしちゃう先輩ってやらしい」
何度も貶めるような言葉でなぶる。それも聞こえなくなっているような表現で先輩は身を捩る。限界なのだろう、もうやめてと嘘をうわ言のようにつき続けていた。
これ以上いじめないでやりたい。自分もそちら側に行きたい。そう思ってやめたりはしなかった。
先輩の腹を汚すまで。あちこちに情事の痕を残すまで。
ぐったりと身を預けたまま、先輩は息をはいた。
何となくそれを抱き締めてからだの熱を図っていた。
もう冷えてはいない。

「何か……本当にこんなつもりはなかったんだよね」
「まーな」
先輩が盛大にため息をついて肩を落とした。
「どうしてこうなるかな」
「先輩が勝手に誤解したんだろ」
別に訂正する必要もない。それに後々を考えるとこの方がいい。
「だったら何で止めないかな」
先輩はやはり勝手に責めるような声を出す。
「そりゃ、まあ」
「やっぱり言わなくていいでござる」
そして含みがある風にしていれば、後悔しているような表情を見られるし。
それを楽しんでいれば自分の少しだけ思った妙なことも忘れられるし悟られない。
「男の恥がなんとやらって言うじゃないっすか」
「だから言わなくていいって」
何をそんなに後悔しているのやら。まあわかってはいるけれど。
予選がはずれて雨足は強くなり、古いアパートの窓に強い風が叩きつけている。
少し下がった気温が肌寒くてそばの温もりを探る。
「何か着てれば?」
言いながら抱きしめる腕に力をこめた。どうせ周りに散らかる服は濡れていて、今はこれが一番寒くない。多分よくはないのだろうけど。
「言っていることが滅茶苦茶でござる」
ぶつぶつと恨み言を呟くその息が暖かい。
「あー何か戻るの面倒くせえな」
まだ雨がやまない
うちは、きっとこの言い訳も通るだろう。

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