ゆきゆきて | Chiffon+

ゆきゆきて

この冷蔵庫から異世界に繋がったらどうしよう。
その世界と言語は一緒かな? 生きてる物は一緒かな?
などなど考えてながら小さな冷蔵庫に手をかける。
ゴクリと唾を飲み込んで、後にいる彼に聞いてみる。
「ねえ、本当に開けてないの?」
本日二回目の問いかけに面倒くさそうな声が返ってくる。
「前一緒にでた日から帰ってねェしなぁ」
確か前は二週間位前。
予想はしてたから変な物は多分いれてないけれど、前の夕飯の残りとか入れた気がする。
ラップをかけて、何となく自分が家で普段しているようにやってしまった。
「 別に冷蔵庫なんだし見られないほどめろめろに腐ってるもんはねェだろ」
彼が帰り道で買ってきたビールのプルタブを開ける。
「冷凍庫に残りのカレーがあるけど……」
夕飯はそれでいいとしよう。しかしたまには呑もうかと買ってきた酒類はどうしたらいいのか。
「それで十分じゃねえスか」
しばらく考えていたらじれったそうに彼が僕を冷蔵庫から剥がすようにずるずるとこたつのある部屋へ引きずっていった。
小さなこたつは、僕が何度も買おうよ、と言ってお金を出し合って買った。
「いい加減寒いんスよ」
僕を置いて、こたつとハロゲンヒーターの電源を入れる。
僕は大人しく温まっていないこたつに入った。
そこまではいい。
「ねえ、狭いよう。あっち入りなよ」
彼は僕のいるところに無理やり体をねじ込んで寝転んだ。ぬいぐるみのように抱きしめられた僕も一緒に転がった。
「温まるまで先輩がカイロな」
嬉しそうにクックと笑う。
僕は恥ずかしさで暑い気すらしている。
今晩は非常に冷え込むでしょうと言っていた朝のニュースと体温が低いはずの彼と、でも僕の頬は火照る。

二人でこたつに潜って寝ころんでいるこの状況は何だろう。
「つか今日寒いスよね」
そうだね、と返す自分は平常心を保てない。
頑張れば保てるかもしれないけれど頑張れない。
狭いけれど、すり抜けることは実はできるけど、頑張れない。
恥ずかしいけれどこの自分の動揺に、小さく嬉しいような気持ちが混ざっていたから。
彼が自分に甘えているのか甘やかしているのか、でもなんとなしに好意が見え隠れするから。
でも。
「ち、ちょっと、服に手を入れないで。冷たいよ」
「いや、だって俺はあったかいし」
冷えた手が、するりと襟元から入り込む。
「駄目!」
片手を彼の拘束から引き抜いて、手をどけようとする。
「あ、そうしてもらえるとありがたいっス。どうも」
腕が抜かれた分の幅分、手がよけいに潜り込む。ついと肌を滑る彼の手が憎らしい。
「も、もうこたつ温かいじゃない」
「またまたー、先輩が本気になれば俺なんか簡単にふりほどけるくせに。それをしないってことはつまり、そうなんだろ?」
耳元の声に思考がぐちゃぐちゃする。
「期待、してたんでしょ」
ささやくような声に、絡んだ思考が依られて間違った糸になる。
「してないもん」
そうかよ、と彼がいやらしく笑った。
「ま、俺はいいスけどね。せまっ苦しいし」
彼の手が離れていくのを、気がついたら止めていた。
「素直に言うこと聞いてやろうってのに」
言葉がうまく出てこない。
静かに手を離せば、彼は僕を解放して、こたつから半分身を起こす。
「先輩」
振り返る。気まずい気持ちが、僕の目を潤ませる。少しだけ泣きそうだ。
「何かすげえエロい顔してるぜぇ」
からかうように彼は笑う。
「違うもん」
「素直になりゃ楽なことってあるんじゃねぇっスか?」
「それを君が言うの」
ほんの少し生まれた余裕で微笑をしようとすれば、唐突に彼が僕の口に噛みついた。
何するの!と聞きたくても聞けない。
彼の舌が僕の口を開こうと、執拗に唇を舐める。
この火照りは近いヒーターのせいだ。体が熱いのは温まったこたつのせいだ。
「ん……」
口を開いたのは、呼吸をするためだ。
ううん、違う。彼がそうやって自分にこんなことをしたのが、くすぐったく嬉しかったんだ。
舌が絡まる。
彼の態度はいつも意地悪で、後輩なのにまるで遠慮がなくて、流れのままそうなったこの関係だって、僕ばかりが彼を好きみたいだし。
僕のことなんか、都合のいいモノにしか思ってないんじゃと思うことがよくあった。
目の前の彼はいつもの余裕もないみたいに、真剣で。
見ていたいけど、近すぎて見えない。苦しくて、目を開いていられない。

唇を離してやっとの思いで息を吸う。近い彼の息を吸う。分厚いレンズ越しに見える目は、そこに、瞳に映る物はわからないけれど僕を見ている気がした。
体を半分起こしただけの無理な体勢から、彼がガクンと倒れた。自分の体重を片腕で支えるのに疲れたらしい。ごん、と頭をぶつけた間抜けな音がする。
漂っていた空気が少し緩む。僕にも余裕が少し生まれる。
「ご飯にしようか」
異次元冷蔵庫はともかく、冷凍したカレーはあるんだし。少しだけ買ったおつまみもある。
体を完全にコタツから出そうとした。
くい、と小さな抵抗。振り向けばつぶれたカエルみたいに倒れた彼が、僕の服をつかんでいた。
「おなか空いたでしょう?」
そう言うと彼のもう片方の手がコンビニ袋を引きずった。
「これでいい」
片手で缶ビールのフタを開けようとしている。
非力なのか不器用なのか、かするばかりで蓋は開かない。僕が見るに彼は器用な方だけど、ただ金属をかしかしはじく音がしていた。
「ダメだよ。ご飯も食べなきゃ。あ、炊いてないから今からか」
「じゃあこれでいい」
やはり缶が開かなかったのか同じ体勢のまま片手と口でチーズスナックの袋を開けた。ぼそぼそ食べながら、僕に缶を渡す。
「先輩ー開けてーなんつってな」
間延びしたような甘えた声に、つい笑ってしまう。受け取って開けてやればまた少し体を起こして飲み始めた。
「ご飯はあとにして、今はつきあってあげるよ」
僕も戻って泡盛の栓を抜いた。すぐそばにあるコップで手酌で飲む。
あ、このコップ大丈夫かな。まあいいか。
「夕飯は食べるんでしょう? カレーだよ」
「先輩、俺がカレーさえ出せば言うこと聞くとおもってねぇ?」
誰がそんなに単純なもんか、と彼が嫌な笑い方で笑う。
「食べないの?」
「食う」
そこは即答だった。

しばらくどうでもいいような話をしながら飲んでいた。
僕は彼のことをまだよく知らない。
ただ、彼は僕のことを好きらしいこと、僕もそうだということは何となく確信している。
裏付けはある。
つまりはそういう先を越えている。
「大丈夫?」
机に缶を並べて突っ伏している彼に問う。
「飲みすぎた……」
小さく呟いた彼を、ベッドまで引っ張っていく。
今日に限ってどうしたんだろうと思うけれど、たまにはそういうこともあるだろう。
空きっ腹なのがいけなかったのかもしれない。
なんとか寝かせてせめて軽装にしようと思って服を脱がしにかかる。
ベルトを緩めて、羽織っていた服を脱がせて下に着ているTシャツだけにして、メガネを外そうとしたところで手をとられた。
「今日は積極的ッスねェ」
にたりと彼が笑う。
そこでふと今の状態に気がついた。
そうだ、これはまるで。
「ち、違うよ! わざとじゃないもん」
またまたー、と彼は取り合わず、今日何度目かの口づけを交わした。
少し心が傾いた。
「一緒に寝て下さいよ。寒いし」
そう言いながら僕の服に手をかける。
また僕はカイロなの?」
そうだと彼はのどで笑った。クックックと笑うのは彼の癖。
「人肌のがあったけえしな」
ここは雪山じゃないけれど。遭難もしていないけれど。
僕はふりほどけるその手をやりたいままにさせた。
期待してたんでしょう?
少し前の言葉が脳裏をよぎる。
僕の着ていたシャツのボタンが全て開けられる。
まだ冷たい彼の手が体を静かに這う。
冷たさで鳥肌が立った。
「立ってませんか?乳首」
ニヤニヤと言わなくていいことを言う。
「自然現象だよ。寒いもん」
「あーそうすか? ならいいっすよね」
白々しい声で笑ってつまめるそれを彼がはじく。何てことはない。
これは全てなりゆきだ。そうだ、なりゆき。
外は、粉雪。

……という感じできれいに終われたらどんなにいいだろうか。
終劇、終了、おしまいで終われたら、どんなにか僕の気持ちは楽だろう。
そして目下にいる彼も然り。
言外には出さぬ気まずい気持ちをどうにかぼやかすことができたら。
今が小説の最終頁だったら。
しかし現実というものは残酷に始まった瞬間から同じ速度で連続する。そして最初に与えられるものは覆らない。
性別と年齢と。たくさんのそらしたい問題の大元が。
等しく流れる時間のせいで今も刻々と腐ってゆく冷蔵庫の中身と、積もるだけで暫く空に帰れない雪と。
だからいっそ、もう覆らずともよい。
初めて会った彼が常識というものを逸脱していたのと同じ様に僕は、外れた。
「まだ若いよね。真っ盛りだね」
いつもの笑い声に脇腹を蹴られた。
「おっさんみてえなこと言ってんじゃ、ねェよ」
混ぜっ返したい気持ちを互いに堪えている、現在。
僅かな時間を共にして行き行きての今。
「ごめんね」
この瞬間がいつまでもなれなくて。
この何とか整えれば見てくれだけは、本当に顔だけは、この取り返しのつかない性格意外はいい君のこの位置を奪ってしまって。
言葉にならないたくさんの事全て。
「僕で本当にごめんね」

「うっせーよ。いいからもうヤらせろ。いちいち長えっスよ覚悟すんのが。まあ半日かかんなくなったのがまだマシっスけど。この間3時間くらいっスよね。もう、何倍も、女より」
めんどくせえ!と投げ捨てるような言葉が帰ってくる。
酔っ払って完全に目の据わっている彼ががばりと身を起こした。
そしてあっさりと僕を倒してまた落下した。
そう、ここまでが、玄関を、いや大学構内を並んで出たときからの僕の言い訳だ。
そう簡単に外れた、の一言で外れられない。
「ちゃんとしていればついてくる人くらいいくらでもいるのにわざわざ面倒くさい僕を選んだ君も悪いよ」
するするとされるがままに脱がされながら、責任を等分にしようとする。
往生際がわるい。
でもさっき謝ったからとりあえず今日の件はもういい。もういいんだもん!
「もう言ってんじゃねェスか、っと、その、もう、好きとかそういう話」
簡単に下品な言葉を言う、まるで黒板をひっかく音のようなその嫌なことばかり言う口が、その言葉に照れて噛んだ。
胸の奥がむずがゆいような気分になる。
「いいからやりなよ」
反撃の半笑いをすれば、そうしますよ!と返ってくるのを知っている。
刻々と来るその時間を、たくさ
んの言い訳をしながら待っている。
「受け身っスね。マグロとか嫌がられますよ」
「そういう立場だもん」
「ま、実際何かしら動いて…つか結局六時間くらい経ってる気がする。絶対風邪ひく」
彼がいつかそうしたであろう形の抜け殻のような毛布をひっつかんで二人でかぶる。
「あーあ、いつになったら先輩はホイホイヤらせてくれるようになるんだろ」
ブツブツ言うその口を塞いだ。
そんな日は永遠に来ないから、これで勘弁願いたい。
離れた舌先を見せたまま笑った。

「ごめんね、最初から君とこういう事をしたくて来たよ。今日も」
別段誰が決めた手順でもなく躊躇いなく潜った僕はそれをくわえた。
別段誰が決めたわけでもない順序を当たり前のように彼も受け入れる。
これ以上の描写を僕の意識にさせるのは御免被る!わざわざあとで枕に顔を埋めてじたばたする材料を作るような特殊な趣味はない。
ちらりと目を彼の方にやれば、毛布で真っ暗暗いからわからない。時折髪を触る手があることと目の前のそれで存在確認をする。
随分と嫌な確認のされ方だ。
散々忘れられ続けてきた自分だってそれならいっそ確認してくれなくて結構だ、とまでは思わないが嫌だ。
つけっぱなしだったテレビの賑やかな音に紛れたそれを耳が拾った。
「せんぱい」
聞こえていないと思っている微かな彼の声だった。
しゃべり続けるテレビの音に紛れて、時折聞こえてくる声。
ため息の様な吐息。
そして賑やかな音楽が止まった一瞬、彼が僕の名前を呼んだ。
そして僕は盛大に咽せた。さすがに、これは、嫌がらせではなかろう。
青臭くて気持ち悪い何かが気管に詰まったような、ここから変な病気になったら嫌だなというような咽せ方をした僕を毛布を捲って確認した彼は、若干驚きはしていたが、こういう時のいつもの彼だった。
あの声は幻聴か、いや、確認して返ってくる答えなど決まりきっているから聞かない。
幻聴でいい。
身を起こしかけた彼の首にすがりついて鎖骨のあたりに顔を埋めた。
そして、もうどうにかしてほしい。
そんな気分で耳元で滅多に口にしない彼の名を呼んだ。
「畜生」
聞こえたそれが全ての答え。

進化の過程にて生殖にて、そんなのあり得ないよ想定してないよと言われそうな、幾分慣れたそれが彼の指を受け入れてる。
「爪、切った?」
多分、という心配な答えに不満の意を示そうとしたところで、指はかする。
身がすくむ。ぞくりとした感覚に何とも形容しがたい気持ちになる。
届くからという理由かどうかは知らないが彼の顔はまた間近。
だんだんと漏れ始める、耐えられるけれど耐えなくていいだらしない三年位前の自分に聴かせたら自害しかねないような僕声に目前で笑い、指は執拗に、多少の移動の軌道を唇と下で残しながら耳たぶを甘噛みした。
僕は手探りで確かこの辺にあるはずのこれから必要になるそれを拾い、彼の背にその四辺でできた角を数回刺した。
「へいへい」
それを受け取りペリペリと開ける。
「もっとかわいい誘いかたあると思うんスけど」
「かわいい必要が見当たらないよ」
一瞬じっと僕を見て彼が笑った。
馬鹿にしたように笑った。

そんなこんなで行き行きまして、彼が聴くような音楽の文句で言う処の一つになるようになる。
本当は目の前の今に我を忘れたい。理性は少し休んでいい。
たくさんの思考で気を逸らしながら進む今。
けれど客観的に誰かが見たら、当事者である彼から見ても、僕がこんな事を考えているなんて判らないだろう。
体は正直だ。感覚も正直だ。
彼の分厚いメガネに僅かに映った僕は、情欲にまみれた顔をしていた。
「真面目くさってる奴のこんな顔、いい眺めだよなぁ」
言葉とは裏腹な彼の表情に、意識が飛びそうだ。
次はある。
きっとある。
僕にはその気がある。
その時は、鏡でその顔見せてやろうかな。
繋がって伝染……していたら嫌だが、そんな陰険な事を少しだけ考えた。


いや、今度は、今度こそは、この長々とした覚悟をやめたい。
それだけで精一杯だ。
ああ、また今日で膨大な遺伝子情報を持ったそいつ等が無駄になった。

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