あわあわくもり | Chiffon+

あわあわくもり

失敗ではないけど微妙な出来の羽のない扇風機を解体している。
相変わらず、研究室には誰もいない。
暇を持て余して作ったドアのトラップに今日は誰一人引っかからない。
昨日は先生と同級生が引っかかった。
頭からペンキを被ったシャレにならない状態の同級生に無言でにらまれ、
それをたしなめようとした先生は羽織った白衣のポケットに溢れかえる毛虫に卒倒した。
別に何でもない日常だ。
自分が外に出るために今日の仕掛けを外す。今日は優しく、ドアノブに手をかけたら死なない程度に感電するだけだったんだけどな。
そして違和感を覚える。
動力源が全部破壊されている。
今日は今朝から誰の悲鳴も聞いていない。
これは来ているな、そう確信した。
研究室内を見回す。
自分の席の隣にあやとりをしている男が一人。全く気づかなかった。
「先輩」
あやとり男が俺を見る。
何にも言葉は出てこなくて、果てしなく面倒くさい気持ちになった。
「休憩ならお茶をいれようか」
そういえば1日いたけど俺の飲んでたお茶って誰が入れてたんだろう?
「朝からいたんスかもしかして」
「いや、授業があったからちょくちょく出入りしていたでござるよ」
うわあ、全く気づかなかった。
ていうかわざわざ戻ってくるなよ。
朝もうトラップ突破されてたのかよ畜生。
お茶を受け取って口をつける。あー、やっぱり飲んでたのこれだ。
「授業行くねって、ただいまって言ってたんだけどなあ……」
「集中してると聞いてないから」
凹む先輩に気を使う自分にものすごく嫌悪を覚える。こんなの俺じゃない。
先輩が首のあたりにいる。くんくんとにおいをかぐように。
すごく嫌なはずなんだけど、妙に緊張してしまって、体が硬直する。
こういう時どうしたらいいだろう?
とりあえず抱きしめでもしたらいいのか?
でも先輩だし。
扱いに困る人だ。きっと突き放してしまえば、そこで縁は切れるけど。
切れたくない気持ちと、自分が自分であることとの葛藤で、何もできない。
動揺してしまうとダメなのは自分でもよく知っている。
「ねえ、また3日くらいここにいるでしょ? 臭いよ」
先輩が顔の真横で言う。息のかかる距離と言われたことに脳の処理が追いつかない。
「いるけど、別に関係ないし」
「あるよ。ちゃんと布団で寝ないと体に悪いんだよ」
まあ真っ当な話ですこと。
「帰るの面倒くさいし」
「何で?」
いや、何でといわれましても。理由はないし。
「あ、この臭いで電車乗りたくないよね。恥ずかしいもんね」
乗ってるけど。割と普通に。
「頭ボサボサだしね」
天然パーマです。ていうか。
「わざと言ってんだろ!」
「何を?でもそれなら家に来たらいいよ。今日僕自転車だから」

何やってんのかな……俺、そんな気持ちで今先輩の自転車の後ろに乗っている。
「下り坂だからしっかりつかまってるでござるよ」
やたら生き生きした声のあと、落下するように自転車が下る。
「ちょ、落ち、お、落ちる。速い、あ、メガネズレて…あ、でも手離せない」
「この位何てことないでござろう」
必死に先輩にしがみつきながら、不覚にも少し泣きそうになっていると、急に自転車が止まった。
よろよろと自転車を降りる。あー、死ぬかと思った。
先輩にそのまま引きずられて家に上がる。
「15分経ったら風呂の湯とめて」
ちゃぶ台に湯飲みを置かれて、そのままほっとかれる。15分ねぇ……。
ポケットの携帯電話を見る。ひどく疲れた。
そのままうつらうつらと眠気が襲う。
寝てるか寝ていないかよくわからない生活をしていたのは本当で、疲れていないと思っているのは自分の脳だけだったのかもしれない。
自分を呼ぶ声がするような気がした。遠くてあたたかい。包丁の音。
15分くらいなら眠ってもいい、かなあ。



「起きてくだされ」
一瞬本当に眠っていたようだ。
15分の事を思い出して、やっぱりいいやと思う。
「風呂でござるよ」
「えっ?」
多分風呂に入れってことなんだろうけど、それはわかるんだけど。
「本来は客人に一番風呂を譲るのが礼儀なのでござろうが、一人暮らし故、そうもいかん。精一杯もてなす故そのあたりの粗相は多めにみていただきたく」
先輩何でタオル二個持ってるの?
「いや、後でいいスよ」
俺の腕を引いて立ち上がらせようとする先輩に言うが、先輩は至ってまじめな顔をしていた。
「すまぬ、家の風呂には追い炊きついてない故。しかし湯を張り替えるのももったいないかと思い。こうするのが得策かと思い至った次第でござる」
一緒に入る空気になっていた。いつから?寝てる間に?どして?
「マジで3日風呂入ってないんで」
「いや、気にしないから大丈夫でごさる」
違う。そうじゃなくて!
「先輩と風呂とか、何か気味悪いから遠慮していいスか?今時裸のつきあいとか、古臭いしー」
これでどうだ。
「やだ」
傷つくなりなんなりすると思っていたのに、帰ってきたのは意外な返事だった。
「はいィ?」
思わず大げさに聞き返す。
「とにかくお風呂入ろうよ!いいじゃない別に!」
ちょっと膨れ面の先輩が可愛……じゃなくて可哀想になってきて、とぼとぼと俺はついていく。
今の俺のことは、誰にも見られたくない。いたたまれなくて仕方ない。

湯船の中で俺は考えていた。
どうしたら先輩は俺をいやな奴と思ってくれるのだろうか?
自分の信条とかそういうものがぼろぼろ崩れている気がする。
相反するように、やましい気持ちが頭をもたげる。
メガネがないから見えない先輩は見えなくても当たり前に胸はない。
当たり前についてるものはついている。
たまに見せる、いや、今はそちらの方が顕著な言動から、少し女顔かもしれないところから、内心そうだったらどうしようと思ったり、現実を突きつけられた気分になったり。
結局何をしても俺がこの人を好きな気持ちは、そしてそれが男だということは覆らない。
それについては特に問題ではなく、むしろ自分が誰かをそういう風に好きだということの方が大事件だったのだけど。
「今日は先生に僕出席してました!って言ったし大丈夫だよね」
髪を泡だらけにしてのんきな声でしゃべっているこの人をみていたらどうでもよくなってくる。
毒気が抜かれた気分だ。
「先輩といると調子狂うわ」
「えっ? そ、それはすまない」
その思い出したように変わる口調とか。
気を許されているような気になってしまう。
ああ、何かのぼせそう。家でも長湯はしないし。アパートくらいの狭い浴室は必然的に洗い場に一人、湯船に一人になるから、俺は結構な時間湯船にいる。
「交代」
先輩が立ち上がる。ハイハイと俺も湯船から出ようとして、頭がくらっとする。一瞬暗転。立ちくらみ。
頭くらいぶつけるかな、と思っていたけど先輩が支えていて、真剣な顔が目前にあって、見える距離。
そのことでまた気が遠くなりそうだ。
「大丈夫でごさるか?」
「あ、ああ、別に」
肌がふれている。
濡れている。
やましい気持ちは消えてくれない。

「先輩、本当自分でやるから、湯船入っててくんないスか?」
交代って言ったくせに先輩は俺の髪を洗っている。
「よくよく考えたら見えないのではないかと思って」
確かにどれがシャンプーかわからないけど、触れば横に凸凹があるのが最近のシャンプーだし、近づければ見えないことは多分ないし、こんな世話を焼いてもらわなくても大丈夫なはずなんだけど。
「流すから下向いて」
素直に従う自分がものすごく嫌だ。
楽しそうな先輩の声も嫌だ。
うんざりだ。
本当にうんざりだ。こんな人嫌いだ。宇宙で一番大嫌いだ。大好きだ。
「とりあえず湯船行って下さい。風邪ひいても責任とれないっスよ。とる義理もないし」
先輩は、石鹸とボディタオルを俺に渡して湯船に行った。
やれやれ、と思う。
さっきまでのたくさんの気持ちはシャンプーの泡と一緒に落ちた。
「あ、髪が真っ直ぐになってるよ。珍しいね」
先輩の感想を放置して、髪の水気を片手できる。
「戻った。すごいね」
何がすごいんだか。
何がそんなに楽しいんだか。
やっぱり無視して石鹸を泡立て始める。
髪から、手元から、先輩とにた匂いがする。
イライラする。
「メガネはずすとかっこいいんだね。僕はいつものメガネもいいとおもうけど」
その感想いらない。
「ああ、どうも」
どっちもいいんじゃどうすることもできない。
先輩、俺になつきすぎじゃないの?好きなの?
「先輩さぁ、そういう事言ってると俺のこと好きな人みたいっスよ。友達なくすんじゃないんスか?」
「好きだよ。それになくすほど友達いないし。あ、そうだ僕友達全然いないよね。幼なじみからは連絡ないし……忘れられてる?」
ああもう、面倒くさい!
「好きでいいけど」
そこで急に言葉が割り込んでくる。
「いいの? やったあ!」
あ、そこ、喜ばそうとしたわけじゃないです。
「あんまり好きとか言うと取り返しのつかない事態になるかもしれないスよ。ほいほい家に上げたりして、そういう事言って、先輩が思ってる感じじゃない方に受け取られるかもしれない可能性、考えた方が身のためっスよ」
嫌われるためだけに、先輩の頬に唇を押し付けた。
心の底の、更に底で、誰かが嫌われたくないと叫んでいた。

先輩が頬を押さえている。
「誰が何を考えてるかなんてわかんねぇっつうことですよ」
さっさと体を洗って、先に出る、と浴室の戸を開きかけた。
「待ってよ」
響いた言葉を俺は無視した。無視せざるを得なかった、といった方が正しいかもしれない。
湯上がりだから、とか、そういう言い訳をしても隠れないくらい、また倒れそうなくらい、心臓がばくばくいっていて、振り返ることができない。
タオルを取って、メガネをかけて、視界が戻ったら少しだけ落ち着いた。
そしてやらかしてしまった、と少しだけ後悔した。
背後で先輩が湯船から出る気配がする。
「待ってよ」
問いただされるだろうか?
帰れと言われるだろうか?
嫌われるだろうか?
これをきっかけに離れていくだろうか?
別に願ったり叶ったりだ。
嫌なことをされたと思えばいい。
嫌いになればいい。
俺のことを好いたって絶対に幸せになんかなれないのだから。
俺は、きっとずっと先輩に酷いことを言う。意地の悪いこともする。
罪に問われなければ陰湿で陰険なことをするに違いない。
今までがそうだったように。
だから、初めから知らない人だと思われた方がいい。
「俺、先輩となんて知り合いたくなかった」
「違うよ」
何が違うもんか。
知らなければ、こんな気持ちにもならなかったのに。
「違うよ。そういうことじゃなくて、一回温まらないと風邪ひくよ。明らかに貧弱そうだもん。心配だよ」
そっちか。
今のシリアスな心情返せ。
マジメに考えたほうがバカを見るなんてどういうことだよ。
色々とツッコミを入れたい所だけど、俺は何となく湯船に戻った。
風呂は嫌いじゃない。
研究室にないだけで。
「じゃあ僕は夕飯の準備してるから。倒れないでよ」
「へい」
肩すかしを食らった気分になりながらいいかげんな返事をする。
「さっきの話は、その時につづけるから」
曇ったメガネでは見にくいけれど、先輩はマジメな顔をしていた、気がする。
少なくとも気づいていないわけではないだろう。
ただ少し、先送りにされただけか。
確かに勢いでやってしまったけど、風呂でする話ではなかったかもしれない。
先輩はやっぱり年上なんだ。

風呂から上がって、いつ置いたのか用意されていた着替えを遠慮しないで着る。
量販店の大雑把なサイズ表示の服だと、あまり先輩とかわりないのだろう。
部屋着や寝間着ぐらいにしか着れないようなこの服は探せばたぶん家にもある。
ただこれ、誰のパンツなんだろう?という地味な心配はあったけど、他人の下着ごときで死ぬわけでもないからこの際どうでもいい。
よく見れば、すぐそばのゴミ箱にコンビニ袋のようなものが捨ててある。買ったのか、わざわざ。ご苦労なことで。
そして元々着ていた服は、洗濯乾燥機の中で回っていた。
ドラム式だ。
もしかして先輩は金持ちなのか?
どうでもいい疑問が浮かんだが、まあどうでもいい。
とりあえずはこの中の服が乾くまでここにいることにはなるのだろうけど。
ちゃぶ台のある居住スペース(多分)に戻る。
先輩は料理の並んだちゃぶ台に頬杖をついて、俺が置きっぱなしにしていた携帯の方をぼんやり見ていた。
携帯の中身を見ていたわけではなく、おいてある場所を、その表情は、今まで俺には見せたことのない、何も読みとれないものだった。
「あ、頭乾かしてないでしょ?」
けれどこちらに気づいた先輩はいつもの先輩だった。
「ドライヤーは借りたいかなぁ……」
天パは人知れず面倒くさいのだ。
「ごめんね、わかんなかった? 取ってくる」
そして何となく予想はしてたけど、頭を乾かされている。
飼い犬のような気分になりながら携帯をいじる。
明日の予定を調べている。
手持ち無沙汰でしかたがない。
「終わったよ。冷めちゃうからご飯にしよう」
飯椀をもってキッチンの方角へ行く先輩を眺める。
携帯を閉じた。
ふと横を見ると、服のポケットに入れていたものが、レシートのような明らかなゴミまで置いてあった。
何となくゴミをより分けてみる。こんなものまであったのか。
「お待たせ」
思考とゴミ拾いはそこでやめて、食卓を囲む。
「地味な飯っスね」
「ありあわせだから」
「ん、いただきます」
先輩の地味な飯はうまかった。こんな日はもう二度と来ないかもしれない。そんな考えがよぎっては味噌汁が塩辛くかんじた。
「先刻のことだが」
先輩が重々しく切り出した。
飄々と逃れたい。
「はい」
でも出来なかった。
先輩はいじめたいけど、嫌われたくない。鬱陶しいけど離れてほしくない。
気の抜けた笑顔を見せてくれ。
動揺させてくれ。
毒気だって抜いてくれ。
それを由とする俺じゃないけど、それでいいから繋がりたい。
「悪ふざけではないように見受けたが」
ただ黙ってうなずいた。
少しずつ片づいていく飯と、苦しい気持ち。手玉にとれないこの人の真剣な声に、俺の言葉は出てこない。
「本気ならば、はっきり申してみるのが筋というもの」
そんな付き合い、したことないよ。適当に出会っては適当に寝て、最低と言われては笑っていた日々。
「拙者も逃げていた。遊ばれていたら、と思ったら何も言えなかった。ただ横にいるのを許されている今に甘んじていた。 これではならぬとわかっていたのに」
からかって傷つけて、でも笑ってくれると嬉しいなんて自分に異常を感じていた最近。
「先輩のことが好きって言ったら、俺が言ったら、先輩は信じますか?」
マジメくさった言葉に吐き気がする。
先輩が茶碗を置いた。
「信じた途端に有り得ないと笑うのでござろう?」
日頃の行いはモロにでている。もう信じてはもらえない。
伝わらないならいっそそうしよう。
俺のアイデンティティを保てばいい。
「だとしても、僕は好きだよ。笑っていいよ」
先輩は笑って、俺のそばに。
「君だって、油断して人の家に上がっちゃダメだよ」
先輩と唇が重なった。離れる瞬間の表情を、俺は見てしまった。

その目を見てしまった。
恐る恐る先輩の頬に触れた。
ちゃぶ台の上、ほぼ空になった皿が置き去りになる。
先輩が泣く子供でもあやそうとするかのように、俺の頭をなでた。
あの表情が焼き付いて消えない。警鐘は鳴り止まない。
この人をどうにかしたい。
吸い込まれるようにそう思った。
後腐れもなく会っては別れたあの誰々じゃなくて、
この先も続いていくように。
先輩の肩をゆっくり押せば、俺が力ではねじ伏せることなど到底不可能な体は倒れる。
「何か、相応に子供っぽいよ」
先輩は笑う。
少しだけ体を持ち上げて、首筋に舌を這わせてくる。
「わからなければ教えてあげるよ」
「要らんお世話っスよ」
そう、とだけ言って、腕を首に絡めてくる、この人は誰なんだろう?
いつもの困ったり笑ったりしているのとは違う。
けれど薄く浮かんだ笑みは幸せそうで。
こんなの吐き気がするはずだ。
先輩なんかが幸せそうに身を寄せてきたりして、気持ちが悪いったらない、はずだ。
組み敷いた形になった先輩の服の裾をめくりあげる。上下する胸は息をしている。
指先をすっと先を書くように引けば、先輩は身をすくめるように身をよじり。気まずそうにこちらを見上げた。
気まずい気持ちが伝染する。
ここには何もないはずだ。
「変わってあげようか?」
それは何を? 立ち位置を?
「冗談じゃないぜェ」
手の平を置いた胸が弾む。
「言うと思ったよ」
先輩が笑っている。
和まない空気をかき混ぜるように、密やかに。
脳裏に浮かんだ言葉は、どうにでもなれ。
裏の裏にかすれた文字にはこの人の事が好き。
それこそ冗談じゃないと思い続けた大事件。

手探りで進んでゆく。行きずりの誰かじゃない人を相手にしたことなんてない。
明日またこの人の顔を見るんだ。
もしかしたら朝飯を囲んでるかもしれないんだ。
手ひどいことをして、最低と言われたとしても、きっとまたトラップを突破して隣にいるんだ。
俺の知らない間に。

先輩の息が弾むのと、格好良く言えば自制という自分のリミッターの切れていく様を、どこかで冷静な自分が見ている。
こんな人相手に、何余裕なくしてるの?なんて笑っている。
現実の自分は百年飢えた獣のように、先輩に食らいついている。
先輩は、聞いたことのない声を時折もらしながら、甘んじて食われていく。
自分にこんな性癖があるわけがない。
相応に女が好きな自分を俺は知っている。
好みのタイプのような柔らかさなど欠片もない。
けれど目尻に涙を浮かべたその目を見ているとひどくそそられた。
この人をどうにかしたい。
泣かせたい? 少し違う。
泣かせたいだけならいつもみたいに酷いことを言えばいい。
どうしたら泣くかなんて知っていた。
理詰めの頭が言い訳を構築していく間に、目に映る景色は相反するように扇情的に変わってゆく。
本能でないはずの本能に火がついている。
一瞬、指先をそこに宛がって冷静になり手が止まった。
女じゃないんだから。濡れるはずもない。この先輩がそういう事態を想定していたとはあまり思えない。
どうしよう。
どうしよう。どうしよう、どうしたら、何だっけ、どうしたらいいんだっけ、どうしよう、どうしよう。
何も思いつかずに俺は自分の指先を舐めた。
焼け石に水だ、と自分をあざけり笑いながら。
「恥ずかしいから、僕を見ないでいて」
「流石に、そこは見ねえでいてやるよ」
その辺にあった座布団をひっつかんで、顔を隠した先輩に呟いた。
聞こえてはいるのかな?
綿越し布越しに押し殺したような声がしていた。
俺は指を押し込んでいた。
膨大にある知識の中の、それは果たして役に立つのか。
疑問ではあるけれどそれより俺は先輩と繋がりたかった。言いたくない、そんな本音だ。

「……っ痛い」
「だろうなぁ」
因果な恋だ。今まで散々悪行の限りを尽くした報いだったと言われたら、納得してしまいそうだ。
先輩は涙目できっと、そんな罰を受ける謂われはないと言うのかな。
はは、俺の方が気持ちがよかったりするんだから、先輩はとことん不幸だ。
「でも今更止めてなんて言いっこなしだぜェ?」
虚勢を張って笑えば先輩は苦しそうに、そしてやはり顔を隠したまま、言わないよ、と呟いた。
繋がる体を離しかけてはもどる作業。
無理がかかる先輩は苦しそうだった。
そのやりとりの中で、先輩が急に声を上げた。
悲鳴じゃない。それは多分嬌声のようなもの。
同じように動けば大げさなその声は一層色を増している。
微かな戸惑いと喜びで俺は繰り返す。
途切れ途切れに先輩は言った。
「好きだよ」
俺だって。
でも言えない。言わない。
まるでそれを補うかのように言った。
「好き」
悲しげに言葉は続く。
「大好き。ねえ、君は僕を忘れたりしないでね」
先輩の過去を俺は知らない。
忘れ去られたことがあるのだろうか。
いや、あるのだ。
「さあてねェ、明日にはケロッと忘れてるかもな」
ククッと笑った。
忘れるもんか。
例え世界が忘れても忘れてなんかやるものか。
「俺、先輩のそういうところ」
俺は何て言っただろう?
それは本音かいつものフェイクか。
ただ先輩は確かにその時笑った。
ありがとう、と、俺を見て。
それが全てだ。それでいい。
俺たちはそれでいい。

「それからね、君のこと放っておけなかったんだ」
よれよれになりながら先輩が敷いた布団にくるまり先輩を抱きしめながら、俺は先輩の話を聞いていた。
「俺は先輩のことうぜぇと思ってた」
けれど好きだった。
悲しいくらいに好きだった。
「好きだよ」
俺の言えない気持ちを知るかのように先輩は言う。
俺たちはそれでいい。
「明日の朝ご飯は何が良い?」
「カレー?」
「それ以外で!」
先輩にキス。
「ちゅーしてもダメ!」
チッ。
「まあでも」
枕を並べていた先輩が少しだけ腕から逃れるように微笑んだ。
「お弁当毎日持って行くから、それ食べてくれるなら考えるよ」
嬉しさと喜ぶなと言う自分と色々が頭を巡り、首筋に唇を落として返事にした。
「わかったよ」
先輩はいつもの調子で答えた。

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