けんかのあとに | Chiffon+

けんかのあとに


電池量の少なくなった携帯電話の表示を見てはこんなつもりはなかったとため息をつく。
でも今更。
くだらないことで言い争いになってしまった。
薄々は自分に原因があることはわかっていた。けれどだからといってそれは俺一人が悪いようなことではないはずだ。
もしも万が一俺だけに責任があっても、素直に謝れるような便利な性格もしていない。
自分の部屋に灯った明かりを見てまたため息をついた。
いい加減にうちに帰りたい。でも帰ればまたあの空気にさらされることになる。
泣き出しそうだった最後の表情を思い出した。
いっそ怒って感情的になってくれたらいいのに。申し訳なかったといつまでも謝り続けるあの人と飯を食うことになるのか。
あー、マジで帰ってくれねえかな。
思いながら腹が立ってきた。何で俺がこんな気持ちにならなければいけないのか。どうして自分の家に帰るだけのことにこんなに気が重くならなければならないのか。第一なんであの人はずっとうちにいる?
でも、まあ。大方は俺が悪いんだから仕方ねえよなあ。
自分の非なんか認めたくもないし、別に今までこんな風に思わなくても過ごしていけたけど、周りは自分にそう言う人間的なあたたかみ?みたいなもの、まあわからないけれどそういうものは求めていなかったわけだし、でも。
奥歯にものが詰まったような気まずい気持ちを抱えながら家の前に立つ。何もかいていない表札と、勝手に入れられていた広告紙を捨てた玄関。漂う不釣り合いな夕飯時の匂い。
「がっ」
不意に開いた扉に額をぶつけて変な声がでた。
眼鏡がコンクリートの床に落ちて軽い音を立てる。
「あ、ご、ごめんね。そんな近くにいるとは思わなくて。気配はしたんだけど、ごめんね」
慌てふためいておかしなことを言っているその人のことを気にできる余裕もなく、俺はずるずるとその場にしゃがみ込んでいた。ヤバいくらいに痛い。普段肉体的に傷つくことは少ないから、痛みに抵抗がない。みっともない話だ。
「何にせよおかえりなさい」
差し伸べられた手を何の気なしにとってから、いたたまれない気持ちがよみがえる。そういえば今朝言い争いになってから一言も話していない。向こうがごめんねと言ってきても徹底的に無視を決め込んでいた。
最後の方で怒ったこの人に、もう知らない、とか、君だって悪い、とか、日頃の行いからしてまずだめなんだ、とか、図体ばかりでかくて体力のないもやし、とか、近眼、とか変態、とかスケベ、とかなんか言われた気がする。
途中から関係ない気もするし、今日言われたことでもないような気もするが、まあなんやかんや言われた。
思い出したら少し腹立たしくなってきたが、たぶん気のせいだ。認めたくはないが特に間違ったことはなにも言われていない。
ここまで考えるのに一瞬。手を払いのけるタイミングはまんまと失った。
「別に。充電が切れそうだから充電器取りに来ただけだし」
痛みが消えて立ち上がる。口からでたのは、我ながら苦しすぎる言い訳だった。
いくら俺でも別に通信手段がちょっと断たれたくらいでは死なない。そんなもの他にいくらでもやりようはあるし。
「そうだよね、君はそういうの大切だもんね」
少しずれたことをいいながら、先輩は自分の体で塞がっていた狭い玄関を空けた。当たり前の部屋の明かりがにじんで見えた。
鼻血がでていないのがむしろ奇跡なくらいしこたま打ちつけた顔のせいで。涙がわずかにでていたせいで。
「男前が台無しだぜ」
言いながら少しだけ笑ってしまうあたりも台無しだ。
「元々台無しになるようなものもないから大丈夫だよ」
独り言を笑い飛ばされてまた気まずくなる。何かいえば言うほどきっとこうなる。言わなきゃ言わないで多分こうなる。何をしたって結局一緒なのだろう。
「自分好きも大概にしないと気持ちが悪いよ」
言ってくれる。そんなことを言い出したら先輩なんか何もないくせに。
「気持ち悪くて結構」
何もない先輩のくせに、畜生。
「で、入るの?入らないの?充電器?とってきてあげようか?」
ここは素直に、なんて死んでも思ったりはしないけど。
次の言葉を待つ先輩の顔が少しだけ意地悪く見えた。
「ただいま」
ここは俺の家。特におかしくはないだろう。
「おかえりなさい」
そうやって全てを柔らかく受け入れようと何かするな。
ちょっとだけ、本当に涙が出た。


go page top