わすれもの | Chiffon+

わすれもの

はにかむように笑うその人を、俺は多分どうにかしたい。


きっかけは何だったろうか?
影の薄い先輩との最初の記憶はもうない。
何だかひどく酔っていて、よくわからないままこの人はそばにいて、いや、本当にそうだったろうか?
最低なことをして、女にひっぱたかれてごみ捨て場に突っ込んで、偶然そこにごみを捨てに来たのが先輩で。
「いや、違うな」
下らない思考に耽りながら、すぐそばで洗濯物を畳む先輩を盗み見る。
そもそもこの人は『先輩』か?何の?
いつの間にか馴染んだこの風景が不意に歪に見えた。
「先輩はさ」
こちらを見ないでなあに?と返事。
伏せた目のまつげは長い。でも多分俺とあまり変わらない。
「いや、下らねェな」
「だから何でござるか?」
怪訝そうにこちらを向く。
少しの無言に扇風機の動く音。
俺の直した古いテレビからノイズ音。
ヘッドホン越しに聞こえる小さなため息。
嫌なら帰ればいい。
わざわざ一緒にいることはない。

空いた皿をそのままに、どうでもいいテレビ番組を眺めて、俺は帰るタイミングを見失う。
別に離れがたいことなんかない。
ただ何となく出会っただけのこの人に、執着なんかないはずだ。好きなことなんかないはずだ。

「先輩と俺って何でこんなことになってんスかね」
努めて下品な笑みを浮かべてみるが、先輩の次の表情でもう何だかわからなくなる。
何周目かの思いがよぎる。
ああもう何かもう帰りたくない。机に突っ伏して寝たふりでもしてやろうか。ああでもそれをすると皿に残った汚れにまみれることになる。
他人が思うよりは清潔な俺はそれをためらう。
「いつも思うんだけどよ、長々居座られて迷惑とかないんスか?」
「ないでござる」
いっそ迷惑と言ってくれれば居座る口実にもなるのに。
そんな自分の思考が居心地悪い。
「いつも帰ってしまうことがむしろ寂しいかな」
今日一番何よりも小さい音。
それに勝つ俺の理性の崩れる音。
水を飲み干してごまかした。
「聞こえてはいないのでござろうな」
そういうふりをする。
「隙を見せているつもりなのに、待つだけというわけにはいかぬものなのか……」
ため息をついた先輩の背後にまわる。
背中をとられることを許したこの距離も隙なのか。
こんな感情に振り回された今なんか、もう明日は覚えているつもりはない。
初めて髪に触れるほんの少し前の話。

go page top