手繰る繋がり | Chiffon+

手繰る繋がり

「先輩にしては、かわいい物持ってきたッスね」
先輩が遊びに来た、午後三時の研究室。
「貰ったんでござるよ。君の話をしていて、それなら一緒にどうぞ、って」
「は? 俺の話でこれ?」
にこにこ話す先輩の手元の箱にはケーキが2つ。
先輩にこういうものをやるような人間がいること、俺の話をしていたらしいこと、それからケーキ。よく見るとタルト。
「仲がいいんだね、って店長がいいひとなんでござるよ」
「あ、バイト先か」
先輩でもバイトに採用されることはある。
採用されてしまえば働き者だろう。
たまに家に来てはきれいに片づけてゆくその手際を思い出した。
作業机や本棚には手を着けない。それは恐らく俺がどこに何を置いていて、勝手に片づけられると困るということを知っているからだ。
しかしそれ以外の生活面で使う機能は先輩の手が入っている。
切れた洗剤なんかまで補充されている。
色々と便利になった。
把握されている、というのが多少気に食わないが、良しとしている。
何かと面倒くさがって帰らなかった、家賃の高い倉庫のような部屋にもちょくちょく帰るようになった。
「じゃあ、帰るか」
先輩とタルトをつついている所なんか、格好悪くて見られたくない。
久々に布団で寝られる、と軽く背伸びをすると、先輩が苦笑した。
「だったら帰ればいいのに」
誰もいないがらんとした部屋に帰るのは
「面倒くせえ」
そう答えた。
別にだから先輩と一緒ならいいという訳ではないが。
それはそれで面倒くさい。

そんなこんなで午後四時の自宅。
薬缶で湯が沸かされているのが聞こえる。
「茶なんて置いてねえよ」
このアパートの部屋を借りた時から、誰も部屋に上げるつもりはなかった。
「この間自分で買ったのが確かここに」
あったあったと先輩は嬉しそうに台所に立っている。それを見ながら、アンタは俺の嫁か、と言いたくなるのを抑えていた。
ただの後輩の世話なんか焼きやがって。
いつの間にかただの先輩じゃなくなりやがって。
言えば変な空気に多分なる。
そうなったときに耐えられる気があまりしない。わざわざ自分を不利な状況に置くほどバカではない。
「君はコーヒーがいい?」
そんなことなどつゆ知らず、先輩ののんきな声がする。それに何でもいいと答えながら着替える。
それにまだ嫁をもらう気は更々ないのだが。
……何か帰るといつも先輩がいる気がする。最近特に。
嫁をもらう。いつかそんな日は来るのだろうか。
俺はともかく先輩に彼女は出来るのだろうか?
考えて、少し胃の辺りに違和感を覚えて思考を中断した。

なんとなく手伝ってやる気になって皿を出す。
これだって前は二枚もなかったのに。
存在感のない先輩が、家でこんな風に存在感を醸し出しているのは、先輩の謀略だろうか?
「あ、かたじけない」
皿を出した俺に向けられる顔には、謀のはの字もなかった。考え過ぎだ、と自分を笑った。
「で、どっちにするんだよ」
箱をのぞき込む。一体なんのバイトをしてるのか。
先輩の風体とおよそ不釣り合いな所謂スイーツというやつが箱の中で仲良く並んでいる。
「君から選んでいいよ。ありがとう」
先輩が、選ばせようとしたことに礼を言う。
この人は些細なことでいつもそうだ。
そして俺は食えるけど実はそんなに甘いものが好きではないことを言いそびれてゆく。
後で嫌いだとでも言ってやろうか。まずかったとでも。そうしたら先輩はまた涙目になるのだろうか。
それはそれで、面倒くせえ話だ。
「じゃあその青い方」
表面に薄いゼリーでもはってあるのか、そんな方を指定した。体に悪そうな色、というほどではない。

先輩のいれたコーヒーを飲みながら、味もよくわからずそれを食べる。とりあえずは甘い。
特に何か話すわけでもない、ゆっくりとした無言の中にいる。
不思議とそれは心地がいい。
「そういえば、こういうときいつも、一口くれって言う友達がいたなあ」
俺の知らない時を見つめるような目で先輩が微笑した。
「全部もってかれちゃうんだけどね……」
ほんの少しだけそれを気にくわないと思った自分に驚いた。
「食う?」
食べかけの皿を先輩の前に突き出した。
「かたじけない。では、拙者のも」
先輩が乗っていたフルーツをフォークで刺して俺に向けた。
これは所謂、そういうアレか。
少しだけ悪ふざけをしたくなって、先輩の真似をしてフォークを先輩に向けた。
途端に恥ずかしくなったが今更やってしまったことはどうにもならない。
先輩だってさすがに気味悪く思うだろう。俺がこんな事をして。
「ありがとう」
けれど予想に反して何のためらいもなく先輩はそれを受け取った。
近づいて離れてゆく顔が、悔しいがかわいい。いや、かわいくはない。ちょっとかわいい。いやいや、そうではなく。
ふと先輩と目が合った。自分の持つフォークの先をちらりと見て、その目はいらないの?
とでも言っているかのようだ。
「俺はいい」
もう気まずい気分はたくさんだ。毒気を抜くのをやめてくれ。自分が何だか段々とわからなくなる。
「そうなの? おいしいよ、これ」
時々揺れる口調に心を許されている錯覚をする。
今、誰が見ているわけでもない。でも先輩はいる。だけれど先輩がそういうことをしようとしている。
ガキのように思考がぐるぐるする。
こういう感情は嫌いだ。
どうしていいかわからない。
「いや、遠慮させてもらうぜェ」
そっか、とそれを自分で口にした先輩を引き寄せる。一瞬先輩の目が鋭くなるが、すぐにゆるんだ。
時折見せるその先輩は、いつもすぐになりを潜める。
何?と口をもぐもぐさせている先輩の唇をなめた。
甘酸っぱいクリームの味がした。
不意打ちがしたかっただけ、ということにしてもらえないだろうか。
「隙だらけでござるよ。君はどんくさい所あるから」
それにもやしだよねとクスクスと先輩が笑う。
「うるせー」
残りのコーヒーを飲み干した。
悔しい。わざと避けなかったんだ。わかっていながら俺に舐められた。
何を飲んでいるか知らないが、先輩もカップと皿を空けた。
そしてすぐそばに寄ってきて、俺に体重を預けるように
もたれた。
見上げるその目は妖艶に濡れている。
「こうやって甘えてもいいよね」
ぎゅっと服をつかむ先輩の心の機微なんか知らない。
「勝手にしな」
今度は不意打ちでなく舌を絡め合った。

こうなるつもりはなかったのに。
こんな先輩と、そんなつもりはなかったのに。
鼻にかかるような吐息を聴きながら俺は、先輩を嫁にもらう術などというくだらないことを考えていた。

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