ひなた | Chiffon+

ひなた

道端で先輩につまづいた。
初めてではない。また、だ。俺は道端にしゃがみこんでいる先輩にまたつまづいた。
いつものことだけれど、視界に入っていないと、その目に映るものが脳内で先輩と処理されないと全然気づかない。
まあ、俺にとって先輩なんかその程度ということだ。
それで困る事は多分ない。
「一段落ついたんでござるか?」
下から声がする。
先輩が猫を撫でながらこちらを見ないで言う。
いつもどうして俺だとわかるのか、それはわからないが先輩のすぐ横にしゃがむ。
「先輩はヒマなんスね」
やっとこちらを見た先輩が微笑んだ「お疲れ様」
猫は真冬の日向に転がっている。
「いや、一段落も何も全然進まねえから」
羽織ったままの白衣のポケットを探り、煙草の箱を取り出した。
一本くわえてまたしまう。ライターはどこだっけ。
「君がじゃなくて、みんなが、でござろう?」
言いかけた言葉を先取りされて面食らう。
「ああ、俺1人でやりゃいいんだろうけどな」
自分にいくら才能があっても、チームを組んでやっているような研究は遅々として進まない。学生のままごと遊びのようなそれと自認していても、結局は並ばなければならず、結果がわかっていても確かめなけれ
ばならない。とにかくまあ面倒くさい。
「己を過信してはならないでござるよ」
先輩が俺のくわえていた煙草を取った。これもあまりよくないよ、と煙草を指で摘む。
別になくてもどうってことはない。ただ少し時間を潰すのに手持ち無沙汰なだけだ。
反対側のポケットからガムを取り出す。
「食う?」
ガムの箱を先輩に向けてみる。
「ありがとう。大丈夫」
先輩の関心から逸れた猫が鳴いた。
猫に手を伸ばしてみる。
「あっ……コノヤロ」
「嫌われたね」
猫は俺の手をはじいてすり抜け先輩の膝に体をくっつけてのどを鳴らす。
先輩がクスクスと笑う。
「いいよ別に。俺は戻るぜ。寒いし」
立ち上がれば先輩が視界から消える。
何が楽しくてこんな寒い中で猫と遊んでいるんだか。
「あ、これ返すよ」
背中に声が追いかけて来たが無視をした。
特に今先輩に大切なものなど預けていない。

夕暮れ、何か食べるものでも買おうと外に出た。
夕焼けで赤い。
先輩のいた方に目をやる。さすがにもういないだろう、と。
近づいてみればもう猫もいない。誰もいない。
この日溜まりにいつも人はいない。
先輩はここでよく猫を構っている。どこの誰が飼っているのか野良なのかはわからない。
「いなきゃいないでさびしいもんだな」
口をついて出た言葉に俺らしくないと自嘲した。
手を突っ込んだポケットからライターが出てきた。
口寂しさはそんなことでは埋まらない。
煙草の箱もライターも俺のものじゃない。
口の中のガムを膨らませた。
「帰るの?」
上から声がした。
木の上から先輩が見下ろしている。
何やってんだこの人。
すとんと降りてくる。
「いや、夕飯」
そっか、と残念そうに笑う。
俺は先輩の手元をちらちら見ていた。
近づこうとして離れる片手。何か握っているもう一方。
「それ、何?」
俺は先輩の手を取った。
表面が冷たい。
驚いたような声を聞いた気がした。
「あ、返そうと思って」
開いた手に煙草一本。
「捨てろよ、そんなもん」
「でも、勿体ないでごさろう?」
よくないと眉をひそめたその口が言う。
「いいよ俺のじゃねえし」
じゃあ誰のなの? と首を傾げながら、先輩は俺の後について来た。
振り返れば立ち止まる。
「でも確かに君のじゃないって思ってたよ」
先輩がごく自然に近づいてきて俺の眼鏡を外した。
少し背を丸める俺と僅かに背伸びをする先輩。
「煙草の味がしたことはなかったもんね」
照れくさい雰囲気。
今すぐ家に帰りたい。

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