いてもいなくても | Chiffon+

いてもいなくても

最近、昼飯を先輩が頼みもしないのに持ってくる。
「外食ばかりじゃ体にわるいでござるよ。ただでさえ不規則な生活をしているのに」
それが先輩の主張。
よけいなお世話だ。特に何か困る事など起きていないのに。

今朝も机に突っ伏して目が覚めた。
というかもう昼だった。
いつもは先輩が起こしに来るのに今日は来ないのか。別に頼んじゃいないけど。そのことについて思うところもないけれど。
いっそ清々する。わざわざ何でもないのに朝起こしに来やがって。
昼に起きたことに関しては、今日、特に必ず出なければならない用事もないし、問題はない。
外したメガネをかければ、視界の隅で充電中の携帯電話が着信を告げている。
『ごめんね。今日はいけない。ごめんね』
先輩からメールが来ていた。
あんな人でも用事あったりすんのかな。
そう思いながら、外に出た。
別にいいけど。そう思ったら困らせてやりたくなった。
『えー、何でですか?会いたいのにwww』
会いたいわけじゃない。そう言うと先輩は困る。
学食でカレーを食べていたら、返信がきた。
先輩のレスは少し遅い。
『ごめんね。ちょっと風邪引いたから、動けない。ごめんね。ごめんね。』
今の持ち物、財布に
携帯にプレイヤー。
充分だ。
『あっそ。お大事に』
コンビニでも行こうかな。
俺は校外に出た。

先輩の部屋の前。
勝手に作った合い鍵で中に入る。
何にも言わずに部屋に入れば荒い息と咳が聞こえた。
「えっ……ど、どうしたの?」
先輩と目が合った。
「……ちょっとじゃねえだろ、それ」
先輩に思わず駆け寄った。
枕元に座って額に手を当てる。
ひどい汗をかいている。
それなのにガタガタ震えている。
俺の知っている先輩は、いつも穏やかな、でも運動神経だけはやたらいい、ニコニコしているその人はここにはいない。
そういえば三日ほど休みで帰っていて学校に昨日の昼過ぎについた俺は、その間先輩を見ていない。
枕元の薬のシートの残骸が、先輩がこういう状態なのが昨日今日の話じゃないことを告げている。
「ごめんね、お茶も出せなくて。うつると困るから帰りなよ」
弱々しく笑う顔が無理をしている。
「……何でだよ」
そのことに苛立ちを覚えた。
「風邪ひいたんなら言えよ! 一人暮らしで、先輩友達いねえだろ」
ぜいぜいとかすれた声が言う。
「ひどいなあ。ちゃんといるよ。幼なじみとか。それに君も休みって言ってたし、昼食のことは心配ないし」
違う。違うんだ。そうじゃない。
先輩が風邪を引いたことぐらいどうでもいいなんて、迷惑なんて、そんなこと、決まってるじゃないか。
「待ってろ。今何か買ってくる。ろくに食ってねえだろ」
弱々しい笑顔が言う。
「君に言われたくないよ」
まともに飯が作れる状態じゃない。
台所にインスタントの粥の空パックが置いてある。いくつも缶詰めの空き缶が置いてある。
先輩が迷惑なんて嘘だ。
嘘だと認めるから、助けてくれ、先輩を助けてくれ。
信じもしない神につぶやく。
走りながらつぶやく。
こんなの俺じゃない。認めたくない。
けれど、こんな時に頼りにされない自分にひどく苛立った。

水分に、果物に、とにかく思いつくままに買って先輩の家に戻る。
玄関先でへたり込んだ。体力が限界だ。膝が笑っている。
初めてそれを情けないと思った。たかだか人より体力がない程度どうでもよかった。それなのに。
俺には今、それがいる。そう思わせる人が居る。
確かおろし金があったはず。台所の床に座り込んだままりんごをすった。
ミルクパンで湯を沸かす。
粥は作れない。
先輩の家の炊飯器に任せた。
とりあえず番茶をいれる。
少しずつ俺は体力が戻る。
風呂から拝借した桶に湯とタオルを。
リンゴの器とそれらを持って先輩の枕元に。
「あれ、帰ったんじゃないんだ」
「そんなわけねえだろ。弱ってる先輩なんてレアなもん、見逃せねぇぜ」
助けながら起こす。
「そうだね。大人になって病気しなくなってたんだけどな」
先輩が病弱だったらしいことは聞いていた。
「体拭くから脱げ」
勝手にタンスを開ける。着替えを探す。泊まるときの俺のでいいやとりあえず。
振り返れば素直に先輩が素直に服を脱いでいた。
堅く絞ったタオルで体を拭いた。心配で、いや心配ではないけどなんとなくそのあと乾いたタオルで体を拭く。
着替えを手伝ってまた寝かせた。
「リンゴ食える?」
「ありがとう。のどが渇いてたんだ」
起きあがろうとした先輩を止めて、ひと匙のすりおろしたリンゴを口元へ。
恥ずかしい。
けれどひねくれてる場合でもって照れてる場合でもない。
いや違う。昼飯に困るだけだ。朝困ることがあるだけだ、だから、早く治れ。
驚いたような見開いた目が一瞬。
そして素直にスプーンのリンゴを口にした。
「茶もあるから」
「ありがとう」
「一応スポドリあるからそれもあとで持ってくる」
リンゴを食べて薬を飲んで、少し落ち着いた先輩が、小さな声で言った。
「眠るまで、ここにいて」
のばされた手が俺の手に触れる。
手を握って返事の代わりにした。
それは初めて聞いた先輩のわがままだった。
「えへへ、嬉しいや。おかしいね」
先輩の呼吸が穏やかになるのを、安心した表情で眠りに落ちていくのを見守った。
静かに手を離して布団に戻す。
枕元に魔法瓶とカップと飲み物。
そして携帯電話を置いた。
空いた皿を洗い、洗濯機を回し、俺は先輩の元に行く。
そしてまた手を握る。
空いた手で計る熱はまだある。
けれど落ち着いた寝息に俺はやっと安堵した。


目が覚めるまでそばにいる。
今の俺は俺じゃない。
早く治れ。そしてまた嫌がらせに
泣いてくれ。
いつもの俺に戻ったら、今の全てを忘れてやる。
だから、はやく。どうか早く。いつもの泣きそうな笑顔を見せてくれ。

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