悪い夢と醒めない幻 | Chiffon+

悪い夢と醒めない幻

 要塞の様にうずたかく積まれた機械のどれかが心音のように小さな音を立てている。眠りと覚醒の狭間に浮上して僕は見ていた夢を手放せずに目を閉じていた。隣には馴染んだ温かい何か。確か彼の仮眠に付き合って眠ったはずだ。ならば隣にいるのは年下の賢くひどくひねくれた男。彼を知る人ならきっと恐ろしくて一緒になど眠れないだろう。僕ら小隊はいくつもの夜と戦場をともにしたけれどもそれはもうどこか遠くなってしまった昔の話。前線にいながら緩やかに平和にうずもれる今、暇にまかせてどんな悪戯をされるかわかったものではない。悪態もつくしひどいことも言われたりする、されたりもするし泣きもする。でもここのところ彼に忘れられたり拒絶されたりはしていない。僕の人生では珍しいそんな距離。あたりまえのことと思っていた孤独が、慣れ親しんでいた忘却がかさぶたのように剥がれ落ちていくような感覚。
 意識が浮上し切って目を開く。寝息のかかる距離の彼の顔は無邪気だとかあどけないとは言い難い疲れのたまった大人の顔をしていた。僕の名前を呼んで笑う、手を引いて引き寄せる、そこにこもる熱や信じられない様な色々と、それが手放せなくなった僕。
 これはもしかしたら彼の新手の嫌がらせなのかもしれない。僕を緩く苛む孤独を忘れさせて温もりに触れさせて、幸せに凭れ切ったところでまた突き落とす。ひどく残酷な嫌がらせ。
「そんなはずがないでござるな」
一笑に伏そうとしてもしきれないのが哀しい。そうかもしれない。それが一番僕を今傷つけることだろうから。彼のことを好きな僕を葬らなければいけないのは辛いから。それでも何事もなかったかのように同じ場所で働いていないといけないから。そうでないとして気まぐれなこの彼が、いつまで僕をこんな風にそばに置いてくれるだろうか。じっと考えているのが恐ろしくて僕は起き上る。今日はこのまま起こさないように帰ろう。
 立ちあがると服を引かれた。振り返ればそこに離れることを拒むかのように僕の服をつかんで離さない手。まだ夢の中の彼の骨ばった手。気まずそうに、照れくさそうに、口では言い訳じみた文句をたらたらと言いながら僕と手をつないだあの手。もしも僕のひどい想像が真実だったとして、もしもこの先どうしても看過できない方に侵略が進んでしまって僕がケロロ君達を裏切ることになったとして、彼だけがいなくなってしまったとして。たくさんのもしもを勝手に頭が作り出す。幸せが永遠に続くはずなんかないとしても、僕だって大人になっていくつもの悲しみは乗り越えたはずだしある程度は残酷になったり冷酷になったりができるようになったはずだ。そう思っていた。強くなったはずだ。こんな想像ひとつで視界がにじんだりはしないはずだ。
「何泣いてんだよ」
彼にしては優しい声で、僕は余計に涙が止まらない。起こしてごめんね、何でもないよ。ちょっと怖い夢を見ただけなんだ。そう言いたいのに平気な声はちっとも出ない。
「泣いてなどいないでござる」
涙の理由をもっともらしくでっちあげて彼をまたゆっくり眠らせてあげたいのに。僕はその場にへたり込む。必死にこらえる涙のせいで息がうまく吸えない。
「あー、なんつーかさ」
起き上る気配とガリガリ頭をかく音。あくびをひとつ。まっすぐ彼を見られない僕のことを抱きしめて、わざとらしいため息をついた。
「一応ではあるけど、好きな人ってことにしてんじゃん? 先輩のこと。それは何か察してんだろ? あ、別に返事しなくていいから。あんたの意見はどうでもいいし。嫌なんだよそういうのがグズグズ泣いてんの。泣き顔なん汚ねえもんだろ?鼻たれてぐっしゃぐしゃでさ。 幻滅したくねえし不細工な顔なんか見たくねえんだよ」
ごめんねと言おうとする僕を胸に押しつけて馬鹿にしたように鼻で笑う。
「だから泣きやむまで顔あげんじゃねえ。離れんなよ。見ちまうかもしんねえし。気分悪い」
それが彼のあまり見せない優しさなのには気づいていた。うざいうざいと言いながら僕の頭をなでる手は優しい。そんなこの距離が、今の彼の気持ちが恐ろしくて僕は一層涙が止まらなかった。これをなくしたら僕はきっと。



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