ふたば | Chiffon+

ふたば

いつかもらった種が芽を出した。誰にも秘密で育てていた。あのときの約束を、彼は覚えて……はいないだろう。
いつもの薄暗いそこで名前を呼んでも返事はない。最初こそ無視されているのかとも思ったけれど、もうなれている。
「何だよ」
近づけば何かしらの反応はある。ないときもある。うたた寝をしていたり、仕事をしていて構っていられなかったり。
「たいした用ではないのでござるが」
「大体いつもそうじゃねえかよ」
ちょっとだけ言葉に詰まる。こちらの困惑を知ってか知らずか、楽しそうに彼は笑う。
「ま、面倒事を持ってこられないだけマシなんだけどな」
彼のまわりにはいつもトラブルの影がある。
「頼られているのでござろう」
それを迷惑がることもなく、遊んですらいるように見えるのがすごい。遊ばれていると思ったとしても、きっと彼を頼る皆の気持ちは変わらない。頼りたくないと言われながら、面倒だと言いながら、当たり前のように当たり前じゃないことをする。トラブルが好きなのかもしれないが、どちらかと言えば平穏が好きな自分にはわからない。
「俺様がいないと何にもできねえとか頼りねえな。ま、いいけどよ」
僕だって彼がいなきゃ困る。それは頼りたいとかそ
ういう話とはまた別に。ああでも頼りたいより寄り添いたいのかな?なんて思っては考えを振り払う。考えてしまったら、甘えたくなってしまうから。できればそれは秘密にしたい。なけなしの年上としてのプライドだ。
そんなプライド、要らない気もしているけれど。むしろ捨ててしまえばいいとすら思う。
「ところでクルル殿に見せたいものがあるのでござるよ」
そんなこんなでやっと本題。
「やっと芽がでたのでござるよ」
持ってきた植木ばちを彼に見せる。これが嬉しくて、真っ先に伝えたくて仕方なかったこと。
「は?」
何でそんなことを報告するのかと不思議がるような声で彼は僕を見た。
「覚えてないのでござるか」
そんな気はしていた。今さら傷つくようなことじゃない。でも、約束ごと忘れられてしまったことは少しだけさみしい。
彼への気持ちの様に誰にも言わずに育ててきたのに。彼への気持ちの方が先に通じてしまった、改めて考えて小さな驚きを味わう。
「ああ、全然」
「そっか、そうだよね」
他愛もない適当な口約束だった。だからこうなるとは思っていた、そのはずだ。
「それが芽を出したら結婚しよう、とか?」
「だっ…断じて違うでござる!」
彼はくっくと笑う。

「それ、奇跡の花だろ」
その言葉に、僕の胸が不意に詰まった。
「覚えていてくれたんでござるか」
「いや、形を見て。流石に自分の作ったものくらいはわかるぜ」
いつか、ずっと前、彼は言った。これは奇跡の花の種。もしも知られずに芽吹かせたら、その時は。
僕はそれを信じて、ずっと持っていた。 地球で暮らしを見つけて、育て始めた。
「そういえば具体的には何がどう奇跡なのでござるか?」
なんの変鉄もない双葉。
「ああ、それは別の次元で奇跡が起こるんだよ。その世界の俺たちに」
言っている意味はよくわからない。
「下らねえ発明だぜ」
「自分で作っといてそれはどうなの」
「自分で結果がわかんねえんだから下らねえだろ」
だったらどうしてこれを奇跡と呼ぶのだろう?
僕の疑問を表情から読み取ったのか彼は言う。わからない長い説明を聞く。
「っつーわけで、理屈としてはそういう結果になんだよ。適当にきれいな名前をつけただけで」
そして全然わかっていない顔をしていたであろう僕をバカにしたように笑う。
「わかるわけねえよなァ?」
「わかる人なんかいるの?」
いるわけがないとまた笑う。僕だって彼の知らないことを知っている。でもそれは言わずにお
いた。知らなくていいことなら、知らないでいいんだ。それですむなら幸せなことだろう。対抗してもつまらないだけだ。
「ま、いたとして気づくのはその奇跡の世界の俺だけだろうよ」
僕は植木ばちを脇において、もう少しだけ近づいた。
「その世界のクルル殿は」
こんな発明してたりはしないの?
「さあな」
疑問は沸々わいてくる。平和的に見えるこの発明や、それを僕に渡したことや、あの頃の彼の気持ちやその他色々。
あの時彼は何て言った?僕はどうしてこれを育ててきたんだろう?
「先輩さぁ、俺の言うことなんか真に受けない方が身のためだぜ。つか何で信じるんだよ」
それはどういう意味だろう?
「最初っから嘘ってこともあるだろ。特にそんな訳わかんねえ話なんかよ」
まだまだ続く。
「大体こういうもんは疑わなきゃまずいだろ。あの時の俺たちは」
少し苛立っていたその声がやむ。僕はゆっくり思い出していた。
「そうだった。まだ会って間もなくて、二人で話したのはあの時が初めてだったかもしれないでござるな」
お互いのことをよく知りもしなかったし、歩み寄るくらいで知ろうともしなかったはずなのに。いや、寄っていたのは僕だけかもしれない。

「何でこんな騙されやすい奴がアサシンのトップなんだか」
信じられないと吐き捨てるようにため息をついた。
「知らねえっスよ、いつかそれで取り返しがつかなくなっても」
取り返しがつかないなんて、もう既にそうなのだけど。
朝顔をいつも枯らしていた話をしたときに渡された種。あの時彼は言った。
「もしもそいつの花を咲かせたら、少しだけ先輩を好きになってやるぜ」
あの時の僕は答えたはずだ。
「嬉しくないなあ」
なのに何となくずっとそれを持っていた。
あの頃の僕は何を思っていただろう。


「ねえ心配してくれるの?」
また繰り返し。
「さあな」
別に答えがほしいわけではない。彼は枯らさなかったのかと双葉をつつく。
「まあいいや。それにあれは昔の話で今は野菜だって育てられるのでござるよ」
とりあえずの今日見せたかったものは見せられたのだし。不意に彼が僕を見た。小さな声でよかったな、と言ったような気がした。
「疲れたし」
片手を伸ばした彼に身を預ける。椅子は狭い。でも目を閉じればあたたかい。
「お疲れ様でござる」
「だからって手刀で眠らせんのはもう勘弁してくれよ」
何か理由がないと寄り添うことのできない二人は近づいた。今は色々
を考えるのを止めにしよう。

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