その場所は | Chiffon+

その場所は

>今僕がいることに彼は気づいているのかな。
布団に埋もれて思う今。
忘れてしまっているのかな。

寝坊をしたんだと思う。それがなぜ断定できないかというと、今が昼か夜か判らないからだ。時計も見当たらない。窓もない。
そんな地下のラボの押し入れの中。彼の寝床。
よくもまあこんなところで眠れるなあと思っていたはずなのに、そして僕は昨夜頑なにここで眠ることを拒んだはずなのに、なのに今ここにいる。離れるのは嫌だった。ここにいれば少しだけ甘やかされている気になれるから。
耳をすませばキーを叩くいつもの音。そしてよくわからない機械の塊たちの動く音。
一緒に寝た人に先に起きられた事なんか初めてだ。

僕の眠りは深くない。すぐそばで誰かが寝ているような状態では、相手が覚醒しだしたことを何となく察知する。そして勝手に意識は浮上する。
それは何か昔の名残なのかもしれないし、本質かもしれない。真相は既に忘れてしまって今ではわからない。
誰かと眠りについたとして、朝相手は二度と起きることはなくなっていたこともあったかもしれない。
それすらわからない。わからないようにした。
僕は自嘲を含んで密やかに笑った。
そんな事は誰も知らなくてもいいし記憶にも記録にも残ることはない。

そういうものだったこともあった。
枕を抱きしめながら大きく息を吸い込んだ。

当たり前だけど彼の枕からは彼の匂いがする。
昨晩を思い出す。
始まりが何だったのかは忘れたことにするけれど、僕は昨夜ここを訪れた。
「オイオイここはプライベートな空間なんだぜェ?」
彼は、クルル君はそう言って陰湿な笑みを浮かべた。
「ま、でも入れてやるよ」
別にそのつもりはなかったけれど、僕は素直に従った。理由は忘れた事にする。事にしたい。
いや、できない。
純情な子供でもあるまいし、そして期待をしてここを訪れたとて、その気持ちは満たせないかもしれない。甘えたい甘やかしてほしい。ただ恋しい。
発作的に起こった感情にあらがえなくて僕は夜に忍んでいった。
そして唐突に襖を開けた。
「ドロロ先輩マジ何しに来たんだよ。無言でいられると居心地悪いんだけど」
そこまで迷惑そうな声で言った彼が唐突に僕を抱きしめてそのまま横になる。
「クルル殿?」
「何でもいいぜェ。せっかくの据え膳だし、いただいておくぜ」
ふっと耳に息を吹きかけていつの間にか変わっていた体勢の背後で笑う。
本当は僕が何かしたい。そうすることで気持ちが伝わる気がするから。
今の体勢からすり抜けるのはたやすい。でもそれではダメだ。
僕は普通の方法で普通に伝えたい。
「先輩でも脈早くなったりするんすね。何か平然としてるかトラウマで泣いてるか、異常に怒ってるかのイメージばかりだったけどな」
言葉が続く気がして彼の声を待つ。
「これが恋する音、なんてな」
完全にバカにしたように彼が首に口づけた。
きっと特殊な能力で彼の心音がわかるだろう。でもこれはそう言うものじゃない。
「そんなに怒ってないよ」
普通がいい。全てを知りたいけれど、知りたくない。
「怒らせてんだよな。俺が」
「そうだよ」
特殊な形では知らなくてもいい。
「泣かせてもいるな」
「そうだね」
この関係自体が特殊とは知っているけれど。
「謝らないぜ」
「わかってるよ」


それが昨晩。思い出すと恥ずかしくなる。
それにしても、ここ、換気してるのかな?
どうでもいいことを考えて思考をそらした。

そしてやはり唐突に襖は開いた。
「先輩起きたー?って何で俺の枕抱えてんだよ」
咄嗟に言い訳を考えるが、その必要がないことを何となく感じた。
「今、何時?」
「ああ、多分夕方なんじゃネェか?」
ずっと仕事をしていたのか首をぱきぱきと鳴らしながら押し入れの上段、今僕がいるところに彼は登ってくる。
起こすのを完全に忘れていたとだれにいうでもなく呟いていた。
逆に言えば珍しく熟睡していた僕を起こさないでおいてくれたんだ、そう思うと嬉しかった。今日は会議もない。
「疲れた?」
僕から枕を取り上げて横になった彼に問う。
「別に」
さらに狭くなったそこで僕は膝に感じる重みを撫でた。舌打ちと触んなよという小さなこえが聞こえた。
「そう、お疲れさま」



「ところで先輩は一日中寝てたわけだよな」
「うん、何か、ありがとう」
僕を見上げた彼がニヤリと笑った。
「じゃあ問題ねえよなあ?」
その言葉の理由を僕は数十秒後に知ることになる。

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