こころはさんかく | Chiffon+

こころはさんかく

朝、目を覚ます。
夜には眠る。
昼には色々。
それが日々。

「……でもやっぱり寝た気がしないでござる」
悪夢にうなされたわけでもない。寝起きの意識の戻る感覚は特に変わりない。
「ドロロ?どうしたの? 大丈夫?」
朝餉にしきりに首を傾げる僕に、心配そうな声。
「いや、大丈夫でござるよ」
本当に? と何度も確認する小雪殿には、そう返す。
心配には及ばない。多分。恐らく。
平和ボケではない。
大事件ではきっとない。世界的には。地球の危機でも特にない。



少し目を閉じて、開いたら日が傾いている。
まただ。
またこの感覚だ。
1日の少しずつの記憶がない。
敵性宇宙人の仕業ではないかと危惧したが、それ以外は何一つ変わっていない。
心配で隊長の様子を見ても、彼にも何の変わりもない。
相も変わらず、家事かガンプラ作りか、マンガを読んでいるかで、何か企んでいる様子もない。
日常は続いていく。
地球人の日々のような生活が続いていく。
このままこの先もこのまま過ごせていけたらと思うような時間。
相変わらずすっぽ抜ける記憶は薄気味悪い。

ふと気づく。
この穏やかさが偽りなのではないか、と。
会議は最近あっただろうか?
連絡が
来ていないだけだとしても、日向家すら静かだ。
とは言ってもいつもの些細な賑やかさはあるけれど。
誰にも何の被害もない。
ギロロ君に1日で記憶が抜け落ちている時はないかとたずねてみたが、
不思議そうな顔をされただけだった。
彼も何かの陰謀かとすぐに危惧したが、やはり何も見あたらない。
見あたらないと言えば、最近、あの子にあった記憶がまるでない。
かと言って、感情は消えていない。このことには少しがっかりもしたけれど、かすかに驚きもした。
忘れられるなんて、すごく悲しいことを僕は知っているはずなのに、
会いたいと思うはずなのに、それならば会いに行っているはずなのに。
会話の記録は脳にない。
「会いに行こう」
あの子はきっといつものところにいるはずだから。

朝だった。
漬け物を食べながら、何か昨日重要なことを考えたはずだと思う。
それが何でどうしたのか、わからない。
記憶がない。
まるでかすめ取られるかのように、見事に数時間が抜け落ちている。
段々と、辛くなってきた。
何か大事なものをずっと得られずにいる感じ。
欲求不満、なんてあけすけな言い方もあるかもしれない。
そうなれば原因はただ一人。僕は机の裏に自分宛の文を
書き、見つかりはしないだろう文机の引き出しにしまった。
会いたい人がいる。
今日こそは会いに行く。
僕はラボの呼び鈴を押した。
忘れてしまうなら、この気持ちを忘れないうちに。
彼は僕の声を聞くとあっさりと扉を開けた。
「クルル君、僕の記憶返してくれないかな?」
「何の話だかわからないなー」
「お願い」
僕はいつも、ここに来ているはずだ。思いは通ったはずだから。
「別になくてもいい記憶じゃねえか」

僕は日向家の屋根にいた。
そして案の定記憶がない。
僕は文机の引き出しを開けた。ここに大切なことを書き留めた記憶はあった。
『今からクルル君に会いに行きます』
ああ、これだ。
いつもやっているはずなのに忘れていること。
文机の中の覚え書きに、新しい事項を書き足した。
そしてボクは再びラボへ向かう。
呼び鈴を鳴らして正面から訪ねる。
特別得な話はないし、用事もないから出てくれないかもしれない。
冷たい言葉へ身構える。
しかしあっさり扉は開く。
「先輩は締め出してもどうせ入ってこられるからな」
あーウザいウザいと、自分の作業をしながらクルル君は言う。
「お仕事?」
手元を覗き込む。
「これは趣味」
「何してるの?」
鬱陶しそうにこちらを向く。
額に当てられた銃を僕はそのままに聞く。
「そんな趣味?」
「ああ、こんな趣味だ」
引き金を引かれて僕の記憶は抜け落ちる。何回目かの感覚だった。
けれど。
「拙者にそう何度も同じ手が通じるなどと思ったら、大間違いでござる」
銃から薬莢のように転がり落ちたカプセルを飲み込む。
この会話の記憶が抜け落ちてすぐ戻る。多分これが記憶の塊。
「チィ」
舌打ちをしたクルル君が、いくつかのカプセルをバラまいた。
「返してやんよ。覚えてない方が良か
ったなんて言っても、俺は知らねェからな」
拾い集めたカプセルを手に、尋ねてみる。
「結局何をしていたの?」
「記憶消去」
事も無げにそんなことを言う。
カプセルを一つ飲み込んだ。
昨日記憶を返してくれと言った記憶。
やなこった、と笑う彼と、やはり銃口をよけない自分がいた。
「趣味でする事ではないし、そんなもの作らなくてもできるじゃない。何で今更?」
「対先輩用に作ったんだよ」
そして散らかった机から瓶詰めのカプセルを取り出した。
形は今僕が手にしているのと同じ。でも、色が違う。
「トラウマでも取り除いてやろうかと思って。ま、そんな事したらアサシンである基礎が崩壊するだろうがな」
クックック、と実に楽しそうに笑う。
「そんでこっちが偽の記憶」
例の瓶詰めを見せる。
「適当に作ったから何がどうなるかわかんねえけどな」
「そんな危険な物を……」
そしてふと思った。
だったらどうしてこの気持ちの記憶を消さなかった?
先輩になんざ好かれたくないと常日頃言っていたのに、どうして?
もうひとつ飲み込んだ。
記憶の底で彼の声がした。

「俺さぁ、先輩のこと嫌いじゃねぇんスよ」
流れてくるのは会話の記録。
「拙者も、悪くは思ってないでござるよ」
「だったら、ヤらせてくんねェ? 減るもんでもないし」
流れてくる記憶に、思わずうずくまる。
答えた言葉の記憶をかき消すように必死に今を考える。
こういう時こそ心を無にできたらいいのに、僕はまだまだなってない。
「確かに、確かにそんなことあったけど」
うわあああ、と思わず声を上げる。恥ずかしい。目の前にいる人としていたそれを思い出してしまう。
記憶でない、現在の彼が言う。
「以来露骨に避けるから、なかったことにしてやろうと思って。ま、俺なりの優しさってやつ? なのに先輩、俺の顔見たら避けるくせに毎日毎日来やがって」
ギクシャクしたけど会いたかったんだ。
恥ずかしかったけど側にいたくなったんだ。
だってずっと好きだったから。
そのゆがんだ愛が好き。
憎まれ口の後にしてくれる色々が好き。
散々弄んだあとの、小さな優しさが好き。
「ていうかさぁ」
うずくまる僕を見下ろしたクルル君が鬱陶しそうに吐き捨てる。
「マジ来なきゃいいじゃねぇかよ。忘れてもバカみたいに毎日毎日」
これについては俺悪くねェよ、とぼそりとつ
ぶやいた。
「いや、クルル殿の落ち度でござろう?」

「だって消すべき記憶は」
きっと出来たはずなのだ。
僕のこの気持ちを消すことは。
仕組みはわからないけれど、無から有を作るのは大変でも、消してしまうことは簡単だ。
「先輩が何をいいたいのかはなんとなくわかるぜェ、でもな、感情と記憶は別物何だぜェ」
そうだとしても。
「クルル君のその偽の記憶で、僕が手酷く振られた記憶を植え付ければよかったじゃない。
そうすれば、僕はそれが怖くてここにこないかもしれないし」

「できなくはねぇかもな 。その逆もできるだろうよ」
でもそれでは意味がないんだ、と舌打ちした。
クルル君が僕に銃を突きつけた。
それから逃れようとした僕に彼は小さく呟いた。
「頼むよ」
その声が真剣で、僕はそのまま彼を見上げていた。
「先輩が好きだ。知ってるだろうけど。好きなんだよ。でも普通に振る舞えない。性分なんだ。でも、俺は、先輩が好きなんだよ。どうしていいか俺にもわかんねぇんだよ」
この会話は忘れる会話。
「僕もクルル君が好きだよ。大丈夫。クルル君がどういう風にしていても変わらないよ。だから、好きにしていいよ」

引き金を引く音と銃声。

気がつくと僕はラボの中、クルル君の腕の中。
「あれ? どうして
僕はここにいるの? クルル君何かした?」
「さぁてねぇ」
ククッと笑うのを見ていたらどうしてか幸せな気分になった。
甘えるように身を寄せて好きだと言ってみる。
「俺はそうでもねぇな」
「そう」
忘れてしまったけれど、きっとそれは嘘だ。
証拠は出せない。
強いてあげられるのは、わずかに残る幸せの余韻。
きっとクルル君も僕が好き。

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