連絡事項



 担任の芝木が、最近変質者が出ているから気を付けるように。そう話をするのを上の空で聞きながら、倉内は欠伸を噛み殺した。
 このHRが終われば放課後だから、陣内に会える。
(シバちゃん、話長すぎだから。何も話すことないなら、早く終われって)
 終われ終われ、早く終われ!倉内は心の中で念じながら、込み上げてくる眠気と格闘する。
(大体、シバちゃんの話はつまらない…。単純だから扱いやすくて、そこは好きだけど)
 担任が聞いたらひどくショックを受けそうなことを平然と考えていると、偶然目が合ってしまった。
「倉内!ちゃんと先生の話聞いてるか?お前も帰る時、ちゃんと気を付けろよ」
「………」
(女扱いは、やめてっていつも言ってるのに!)
 どうも芝木は、自分のことをそういう目線で見ている気がしてならないのだ。苛ついて倉内は眉を寄せると、ふいと芝木から視線を逸らした。号令に立ち上がり、鞄を掴むと我先に教室を飛び出す。走るのは得意だから、図書室までは、すぐだ。

 何の話をしようかとか、昨日読んだ本の感想とか、そういうことを倉内は考えながら歩く。大抵考えた分の半分も消化できないで今日を終えるのだけど、自分が妄想しすぎているのか陣内が素っ気ないのかどちらかは、よくわからないしどちらでも同じだと思う。
 好きの比重が自分のところにだけ偏っていることは、ちゃんと自覚しているからそれでいいのだ。…いいはずだった、のだけれども。
「今日、静は帰っていいよ。いつもご苦労様」
「……………」
 あまりにも普通にそう挨拶で追い返されて、倉内は何度かセリフを頭の中で繰り返した後、整った表情を歪ませる。憤りの前に、疑問だけが山のように駆けめぐった。
「どうして?」
「陣内さん、言葉が足りなさすぎですよ」
 図書委員長の金本が、苦笑しながらそう口を挟む。
 金本も倉内と同じで、一年の頃からずっと図書委員を務めているというから…陣内のことは誰よりよくわかっているのかもしれない。そういう想像は、嫉妬を生むだけだが。
「余計なことを言わないでくれないかい、真人」
「これで倉内が来なくなったら、どう責任取ってくれるんです?ちゃんと、説明してあげてください」
(…なんっか、すごく複雑な気分なんですけど)
 倉内は内心溜息を殺して、陣内の説明とやらを待った。
 心配しなくても、金本はノンケで女子校に彼女がいて、おまけにラブラブなのだから。ちゅープリクラまで撮っていたのだし…。そう無理やり自分を納得させ、不毛な嫉妬を消そうとあがく。
「最近、変質者が出ているそうじゃないか。しかも、静の家の近くだったろう」
 陣内の言葉は、そんな簡素なもの。きょとんと二人を見比べると、言われた意味が理解できなくて倉内は首を横に傾げた。
 確かそれはさっきのHRでも聞いた、連絡事項の一つだった。それが、どうかしたのだろうか。
「陣内さんは、倉内が可愛いから心配しているんだよ。襲われるんじゃないか、ってね」
「はあ。男の僕がですか…?」
 説得力がないということは、よくわかっているから日頃、筋トレは欠かさないのだが。もし仮に誰かに襲われたとしても、よっぽどでない限りは、対等にやりあえる自信はある。容姿で油断を誘う分、自分の方が有利じゃないかと冷静に思うくらいには倉内は弱くない。
「おれから見ても、倉内は可愛いと思うよ。…可愛いというよりは、きれいっていう表現が正しいかな?」
「彼女持ちが後輩を口説くのは、感心しないね。真人」
「そ、そんなんじゃないですから!誤解を招くような表現は、やめてください。陣内さん」
「……………」
 やっぱり面白くないな、と倉内は思ったのだった。それを金本の口から聞かされるのも、帰って図書室で二人きりにさせるのも。全部、気に入らない。
 金本のことは人間的に好きだし、それとこれとは別問題で、何より恋の独占欲なんて、普通のことだ。大体ヤキモチなんかではなく、金本をからかうのが楽しくてそういう流れになったのだ。きっと。
「…大丈夫です。ご心配ありがとうございました。委員活動、させてください。お願いします」
「私は嫌なんだが」
「…陣内さん、子供じゃないんですから」
 吹きだした金本に、倉内も同意見だ。嫌なんだが、と言われたって…困る。せっかく放課後になったのに、一緒に過ごせると思ったのに。そんなことって、ない。
「そんなに心配なら、陣内さんが帰り道送ってあげればいいんですよ。徒歩十分の距離なんだし」
「え…?」
 金本は思いついたように笑うと、倉内を凍らせる。
 な、何を言い出すんだろう。そう動揺して陣内を窺うと、渋い表情と目が合ってしまった。
(断られるに決まってるし!一緒に帰れるなら、僕は嬉しいけど…)
「ああ、そうしようか。いいね、静」
(えええええ!?いいの、正気なの陣内さん!)
 返事をするより先に、耳まで真っ赤になって慌てて俯く。
 今は喜ぶ以外の一切の疑問は放置して、倉内は素直に金本に感謝した。
「よかったね、倉内」
「はい…」
(金本先輩ありがとう!どうしよう。陣内さんと、一緒に帰れるなんて)
 はにかむように微笑んだ倉内は、いつもより張り切って仕事を始めるのだった。


   ***


 図書室以外の場所へ、陣内を連れ出せたことが嬉しかった。それがどういう理由であれ、その事実が、倉内を本当に幸せな気分で満たしてくれる。
 陣内が隣りを歩いている。身長差を一応気にしてか、倉内に合わせてゆっくりとした速度で、だ。この光景は、一体何なんだろう。これ以上のことがあるだろうか、否。
「…今日の静は、なんだか無口だね。私と帰るのは不満かな」
 夕暮れはもう終わってしまったけれど、夜と呼ぶにはまだ曖昧な時間だった。こういう時、何かが許されていいような気になってしまう。自分のこの恋が、許されるのではないか。そういう気分になった。とたん、せつなくなるような恋情が倉内の唇から、どんどん零れていく。
「どうして、優しくするの?どうして一緒に帰ってくれるの?僕の気持ちを知ってるのに」
「優しくするなと、お願いされた覚えはなかったが…」
「嬉しいけど、陣内さんに優しくされると勘違いして、僕は調子に乗るよ」
「ご自由にどうぞ」
 皮肉に歪められた形で放たれる言葉に一瞬で、突き落とされてしまった。ああ、もっと楽しい話題を選べばよかった。また間違えた。急に、苦しくなってしまった。
 さすがにすぐには反応ができなくて、倉内は堪えるように目を閉じる。
「静は私の言うことをいちいち真に受けるから、もっと優しい言葉を使う人間を好きになればいいと思う。子供を騙すのは簡単だが、私にそんな趣味はないんだ。私は、君に不釣り合いなん」
「僕の言葉をいちいち真に受けてるのは、陣内さんの方だよ…。こんな子供の告白なんて、サラッと流せばいいじゃない。真摯な対応なんてするから、僕はつけあがる」
「本気で向き合おうとしてくれる人間に対しては、私も本気で返すのが信条でね。年齢は関係ない」 
「そういうところが大好きで困る」
「………」
 陣内はなんだかんだいって、倉内のことを対等に扱ってくれているのだ。だから期待してしまう、その余地が残されているから。…いつまでも。
「僕は陣内さんに、優しくされたら嬉しいし、冷たくされたら悲しいよ。あなたが好きだから」
「二十回くらい聞いたね」
「不釣り合いなのは陣内さんじゃなく、僕の方なんじゃないの?僕が子供だから、男だから…。それなのにそんなずるい言葉で、僕に優しくしないでよ。どんどん、好きになる」
 薄暗い景色の中で、行き場を塞がれた恋が苦しい。終わらせることができなくて、くすぶったまま。
 陣内は溜息をついて、この話は終了とばかりに倉内の頭を優しく撫でた。
「…とにかく、私は事件が解決するまで静と一緒に帰るからね。
 私が嫌だと言っても君は委員活動をするときかないから、そうさせてもらう」
 慰めるように肩を抱かれて、急速に体温が上昇してしまう。緊張なんだか嬉しいんだか、ああ多分これは両方なのだけど。ドキドキして、幸せで。
 ずっとこのまま、永遠に家になんて着かなければいいのにと、こっそり倉内は思うのだ。


   ***


 件の犯人はすぐに逮捕され、二人の帰り道は、たった三回しか成功しなかった。あんなに嬉しかったのに。一人の帰り道はなんだか無性に寂しくて、倉内はとぼとぼと歩く。
 そんな時、目の前に歩きながら寝てしまいそうな後ろ姿を見つけ、自然と早足になるのだった。


  2007.01.23


 /  / タイトル一覧 / web拍手