誰にも言わない秘密の恋



「好きな人?できたけど…、言えない」
 別に、陣内自身は盗み聞きなんてするつもりはなかった。
 出来ればそんなこと、知りたくはなかったし。

 どんな顔をしてそんなことを告げているのか、見てやろうと近づいた瞬間目に飛び込んだ何とも言えない、それを自分が本当にさせているのかと思うと変な気持ちになる、恋をした表情。
 しまった、と陣内は思った。
「言えない恋なんて、止めてしまうに限ると忠告しておくよ。静」
 放っておけない。かといって、優しくすることもためらわれてそんな言葉が唇から漏れる。弾かれたように顔を上げたきれいな赤は、思わず見惚れるほどだったけれど。
 相手が誰かなんて問うよりその表情を見れば明らかで、陣内は鈍感な方ではなかったし実際に、好かれているんだろうな、と面倒くさげに日常の中でその気持ちを、確認することは多かった。同性の、しかも生徒に好かれるなんて。頭が痛い。
 できれば気づかないふりをして、卒業までに何とかその勘違いを違う方向へと向けさせることができたら、どんなにいいだろうかと思う。そうしたいのは山々なのに、倉内の取る態度ときたら露骨そのもので無視ができない。
 なまじ顔の造りが良いだけに、自分に劣等感など無さそうなその積極的なアピールが、最近陣内の憂鬱を日々重くさせているのだった。ずっと片思いでいられるという安心感からの感情なら、馬鹿馬鹿しくてつきあってやる義理もない。
 倉内ときたら前向きそのもので、淡い期待を抱きながらチャンスを周到に窺っている毎日だから、本当に疲れる。そう本心をすべて話したら、この子は諦めてくれるだろうか?
 手の内を明かしてみせたところで、盲目な生徒は喜びでもしそうだから何も言えない。
「そっか、言葉を間違えたみたい。言えないんじゃなくて、僕は言わない」
 倉内はまっすぐに陣内を見て、そう微笑んだ。
 言わなくても、伝わっているんでしょう?―――貴方には。

 陣内は笑うことは出来ずに、表情を取り繕おうともせず倉内からふいと目を背けた。無視できないなら、見なければいい。関わらなければ。
 こんな風に些細な傷を抉っていけばいつか、根を上げて楽になるのだろうか。そんな趣味は持ち合わせていないし、かといって少年趣味ではないと断じて言える。
 倉内のことを、嫌いにもなれない。懐いてくれるのは、正直悪い気分ではない。それとこれとは話が違う。でも倉内にとってそんなことは、どうでもいいのだ。好きか、嫌いか?その短絡思考、どうにかしてやりたい。それくらいだ、思うことといえば。
「ねえ、陣内さん」
 甘い呼びかけなんて、別の人間に与えてやればいいものを。
 恋を貫くと決めた男にかける言葉なんて、ひとつもない。
「ご忠告どうもありがとう。でも、僕は諦めないから」
 それは意地ではないのだろか、恋と間違いなく呼べるだろうか。心の中を覗くことなんて誰にもできないから、陣内にはわからない。倉内のことなんて。…本当に、わからないのだ。好かれるようなことをした、記憶がない。
 恋に理由がいるのかと問われたなら、あった方がわかりやすいと答えるのだが。そうして多分、陣内はわかりやすいものを好んだ。
 図書室はうるさくなくて、落ち着くから好きだ。自分のペースを乱されるのは、得意ではない。司書と図書委員、そして利用者。それだけの関係。なんて心地よいだろう、と思う。別段、距離をおこうと意識しているわけでもない。普通にしていれば、距離なんて当然の如く現れる。何かを飛び越えようと、その矛先が自分に向かわれるなんて…本当に困る。
「感心しないね」
 短く感想を告げてやると、倉内は長い瞼を少し悲しそうに伏せた。
「感心してもらいたいわけじゃないから、いいよ」
 愛以外に受け付けないなんて、傲慢だとは思わないのか。
 自分の中に無いものを、どうやって与えることができるというのだろう。
 
 そんな悲しそうな顔は見たくないのだと、正直に白状すれば、嬉しそうな顔になるんだろう。
 それもそれで見たくはないなんて、本当どうしていいのかわからない。
 どうしていいのかわからない時は、どうもしないことに決めている。

 誰にも言えない恋の秘密が、どんどん深さを増していく。


  2006.12.28


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