secretwish



「チョコくれよ」

 幼馴染の予想外な催促に、丈太郎は表情を曇らせる。
「お前、甘いの嫌いだろ?俺知ってるんだぜ」
「嫌いだが、チョコのすべてが甘いわけじゃない。俺はお前からプレゼントを貰える機会を、逃すわけにはいかないね」
 温は全部、思い出したのだと言った。それは事実で、丈太郎自身が忘れてしまったような小さな思い出を、温は時折懐かしそうに口に出したりもする。丈太郎にとっては、記憶があるなしとは関係なしに、温はずっと温に変わりないけれど。
「はあ…。俺に、あの女子の輪に入っていけと」
 恋人の買い物に付き合って百貨店に入ったら、その黄色い空間はまるで異次元だった。あのパワーがあれば、何でも出来てしまうのではないかと丈太郎は感心したのだ。充は見慣れているのだろう、うんざりした一瞥を向けただけで足早にその場を離れたのだが。
「そんなこと言って、王崎には贈るつもりなんだろ?」
「別にバレンタインだからって、チョコを贈らなきゃいけないってことはない。飯でも食いに行けばいいかなって考えてるけど」
 予定を立てているわけではないが、一緒には過ごすだろう当日に思いをはせて、丈太郎は少しだけ頬を赤く染めた。こんな日が訪れるなんて、昔は想像もしていなくて。
 充とどういう風な付き合いをしているかなんて、どうして申告しなければならないのだろう。よりにもよって温になんて、家族にノロケるようなもの。恥ずかしいのだ、その度に。
「じゃあチョコはいいから。やらせてくれ」
 丈太郎の返事が面白くなかったのか、どうでもよさそうに温はそう続ける。
「温さあ、口を開けばやらせろやらせろって、お前万年発情期の猿みたいな?それ良くないぜ。相手が俺だし。結構最低」
「だから俺は、お前にどう思われるかなんて関係ないんだよ。丈太郎は俺を切り捨てられない。それがわかっているからな」
(そんなこと言葉にして、俺に言うなよな…)
 唇を噛んで視線を伏せる想い人は、温の情欲を煽り立てる。
「そういうお前の泣きそうな顔、好きなんだよ。丈太郎」
「…絶対やらせねー。チョコならやってもいい」
 呟くように決意する丈太郎に、温は余裕の笑みを浮かべた。何にせよ、丈太郎は自分に抗えないのだ。チョコ云々の話ではなく、温が強く求めれば身体を開かざるを得ない。自分からその身を委ねることはないだろうが、その決定権は温が握っているのだった。
 負い目は、最大限に利用する。温が望んだことなのに、責任を感じる丈太郎の人の良さ。時には歯痒く感じられる長所も、今の温には都合の良いものでしかない。
「それならチョコを買いに行って、俺に会いに来てくれ。楽しみにしているから」
 無言で伝票を鷲掴みにすると、丈太郎は席を立つ。これ以上一緒にいて、不毛な会話を続けたくなかった。


   ***


 安生探偵事務所に戻ると、丈太郎は充の部屋へ向かう。信之介は、和ノ宮邸へ出かけているらしい。二人きりだと意識すると、今でも照れくさいような気持ちになる。
「丈太郎、オレに隠し事はするなよ。隠しても、無駄だからな」
 おかえりの代わりに、充の見透かすような視線が丈太郎を捉えた。昔から相も変わらず、そんな視線一つだけで、丈太郎は自分がどうにかなってしまいそうになるのだ。ドキドキして、どうしたらいいのかわからなくて、平伏してしまいたく…
「責めてくれ、俺を」
(いっそ、不実だと詰られたら…スッキリする)
 滲んだ声。顔色悪く囁く丈太郎に、充は微笑んだ。
「愛してるよ。丈太郎」
「充」
 震える身体を優しく抱いたら、揺れるような丈太郎の感情が流れ込んでくる。何も心配など、お互いにすることはない。こんなに愛し合っているのに、心配性の恋人は不安でたまらないらしい。
 不安というよりは罪悪感?現状を自分叩きへと昇華するその技術力の高さは、悲しいことに折り紙つきだ。
「お前が自分を責めているのに、オレまで丈太郎を責めるつもりはない」
「ごめん。俺は自分の行動が、充を傷つけてしまうって、わかっているのに…」
「好きにすればいい。オレは、オレの知らないところで丈太郎が苦しむのが我慢できないだけだ。この腕の中でなら、泣かせてやるよ」
(またそんな、格好いいこと言っちゃって…)
「充はいつもそうやって、俺を甘やかしてくれるよな。俺、駄目になりそう」
「駄目になってしまえばいい。オレ以外、誰も丈太郎に見向きもしなくなるくらいに」
「馬鹿…」
 こんなに好きだと思うのに、その強さや優しさに自分は甘え続けて、傷つけて。それなのに案じてくれる愛情へ、何を返せるかもうわからない。全部あげたくて、欲しくて、その通りになっていると思い込みたいのに、
「オレたちは、同じ人間じゃないから」
 なんだか言い聞かせるように、充は言う。
「隙間が全部埋まることなんて絶対に、ありえない。だからそれを埋めたいと、必死になれるんだと思う。こんな風に」
「だからっ…!そんな、格好いいことばっかり言うなよ!もうこれ以上は好きになれない…。今だってこんなに愛してるのに」
「お前がオレに惚れてるから、格好いいと感じるだけだ」
「そんなこと…!もう、喋るな……。お願いだから黙っていてくれ」
 言葉を塞ぎたいというよりは、単純に欲しくなったのだ。
 目蓋を閉じた充の美貌に近づいて、端麗な唇を貪る。紅潮する白い頬が綺麗だ。大切にしたい。誰にも傷つけさせたくないのに、自分が一番きっと傷つけてしまってる。
「好きなんだ、嘘じゃない…。誰にも誤解されたくない。わかってほしい…」
「丈太郎の気持ちなら、わかってる。たとえ言葉にしなくても、オレにはちゃんと伝わっているから」
「ああ…」
「そんなことより嫌なら嫌だと、伏見にちゃんと口にしてやるんだな。お前は衝突を避けたがるけど…。そのせいで、余計に自分を苦しめてるから」
「!」
「今日はこのまま、可愛がってやる。オレのこと、感じて、泣けよ」
 全てを曝け出すのは、お互いだけだと胸を張って、誓って。誰にも邪魔をさせないように、力強く、もっと近くへ奥へ繋いだ。


   ***


 約束通り丈太郎からチョコを受け取ると、嬉しそうに温は笑う。その幸せそうな笑みから視線を逸らし、丈太郎は俯いた。
「言っておくけど、義理だから。俺がお前にあげられるものは、他にない」
「ありがとう。嬉しいよ」
 ごく普通に礼を言われたことに対し、拍子抜けと罪悪感が襲ってくる。いい加減疲れる思考回路に、自分でも心底うんざりした。
 温は早速包装を開けて、ボンボンショコラを口に運ぶ。美味しいと言われ、丈太郎の胸が痛くなる。こんな感傷は過去に酔っているみたいで、気分が悪い。
 当然のようにホテルの部屋を指定されて、会いに来てしまった。
「喜んでもらえてよかった。チョコ売り場、なかなかの行列だったんだぜ」
(これで、最後…)
「王崎にも買ったのか?」
「最初は、予定になかったけど。お前だけにってわけにはいかないだろう。この際だから、沢山買って配っておいた。自分用にも買ったし。なんか本当いっぱいあってさ、試食したら美味いし、どれにするか迷っちゃって」
 笑い声は、見事に空振りしたような気がする。
「緊張すると饒舌になる癖は変わってないんだな。可愛い丈太郎」
 眼鏡を外した温が、距離を詰めて丈太郎の首筋に触れた。途端に、二人の空気は変わる。抗いたくて、丈太郎はその手を押し戻した。
「………」
「俺がお前を困らせてるんだと思うと、興奮するね」
 いつしか暴力的に奪い去ることへの虚しさを、温は学んでいる。丈太郎の背中が、ベッドに柔らかく沈んだ。こうして何回見下ろしただろう、そしてその度に期待を抱く。
「駄目だ。温…」
 丈太郎は、泣いてしまいそうだ。かつてあんなに、適当に受け流されていた温の愛情や欲情。それなのに、充に恋をしてからというもの丈太郎は少しずつ変わっていく。初めは怖かった。その次は憎んで、今は…
「俺の気持ちは赦されない?丈太郎のことを、愛しているだけなんだ」
 ただ、そんな丈太郎を愛している。温の中にあるものといえば、本当にそれだけだった。
「そういうことじゃ…なく、て。俺は、嫌だ。雰囲気に流されて、自分に嘘をつくのはもう…。温のことは好きだよ、大切だと思ってる。だけど、………俺、もう…充以外に触れられたくない。こんなこと言うの恥ずかしいけど、本当、俺は相当アイツに惚れてて。…自分の行動のせいで充に嫌われたくないし、苦しませたくない。傷つけたくないんだ」
 機嫌を伺うように撫でる指先。身を捩じらせながら、丈太郎は懇願する。
 どれくらい好きなのかなんて、ずっと傍で見ていたから知っている。前にも似たようなことがあった。多分、何度も。充のことが好きだからと拒絶する丈太郎に、温は自分の感情を優先して押し通してきたのだ。
「言ってくれるじゃないか…」
 最初は、言葉にならなかった。隠しているつもりらしかった恋情は、そのうちに吐露されて、今ではその関係は深く強固なもの。
「俺、きっと楽な方法に逃げていたんだ…。向き合おうと、してなかった。温とじゃなく、自分の気持ちと。誤魔化したつもりだったけど、アイツは全部わかってて…。俺は、自分が情けなくて恥ずかしくて…ごめん。ごめん、温……」
 泣かれると興奮して、どうしてもヤりたくなってしまうから勘弁してほしい。温の思い浮かんだ感想は、そんないつも通りのもの。苦笑が浮かぶ。丈太郎は、潤んだ瞳で自分を見ていた。…セックス以外の選択肢がない。
「わかった…。最後に、もう一度だけ」
「温」
 その咎めるような視線さえ、誘惑にしか感じない。
「優しくするから」

 快楽を堪えるように吐息を零す姿が、好きだった。下着越しに、形をなぞるように何度も半身を撫でながら、舌を絡める。
「丈太郎…。イイ顔だ。そそられるよ、すごく」
「…ぁ…アッ、ア……」
「気持ちよくなってきた?たまらない?」
「アアッ!」
 返事の代わりに、嬌声。ずっとこんな姿をこうして、見ていられたらいいのに。一度実行しようとした白い世界は、他の男に鮮やかに塗り替えられて。永遠を信じてみたけれど、それはひどく空虚だった。今この一瞬の方が遥かに、温にとっては素晴らしく幸福なのだ。
 知らないでいられたうちは、純粋な関係でも平気だったのに。その温もりを知ってしまったら、手を離すことなどできるわけがない。
「ここも、大きくなってきたな。脱がせてもいいだろう?そろそろ…」
「ひぁ…あ、ゃ…!」
「可愛いよ。丈太郎、可愛い…」
 開脚させた太ももに吸い付くと、敏感な身体が小さく震える。手でしっかりと逃げられないように固定して、温は孔の周りを舐めまわした。故意に蕾へ触れる度、
「ア…、ア、アッ!…駄目…」
 弱弱しい抗議に思わず、温は理性を失いそうになる。
 ヒクつくアナルにとろりと唾液を落とすと、官能的な悲鳴が上がった。
「…ぁああ!」
 もっと、めちゃくちゃに乱れてほしい。自分が丈太郎を乱したい。本当は、自分だけが。叶わない願い事は熱にかき消して、今は余計なことを考えていたくない。頭を振る。温は色々な感情の中で、薄く笑った。
「美味しいよ、丈太郎…。いやらしい味がする。…ちょっと俺の顔に、跨ってくれないか」
「っ、はあ!?えっ?」
 正気に返ったような丈太郎の態度が、愛しくてたまらなかった。沢山無理をさせた。ずっと、我侭を許してもらってきた。
「そこまで喜ばれると俺も、提案した甲斐があったと思うな」
「勘弁してくれよ。いきなり何言い出すんだよ、絶対嫌だ!恥ずかしい…」
 却下されることは初めから予想済みだったけれど、どういう懇願が効果的かも温にはわかっている。
「丈太郎にこんな無茶な願い事を言うのも、これで最後だから」
 最後まで、どこまでも幼馴染には弱すぎる。丈太郎は自分に呆れ、諦めに似た気持ちで溜息をついた。
(断れないじゃん。最後だなんて、言われたらさ…)
「…そんな言い訳、ずるいだろ……。はあ…」
 今だけはせめて、お望みどおりに。
(なんて、譲った俺が甘かった…。こ、れ…は……)
 恥ずかしいなんてものじゃない。身体が、発火してしまいそうだった。シーツを握り締め、堪えきれない喘ぎ声を漏らしながら、止まない愛撫に丈太郎の気が遠くなる。わざと煽るような音を立てる、その意地の悪さ。
 我慢なんて、とても出来そうになかった。
「…っ!…も、…駄目……ぁ、う…!」
 吐精して、崩れるように丈太郎は布団の中へ沈み込む。温は追いかけてきて、丈太郎の背中を抱きしめた。
「温っ…」
「挿れていいよな?丈太郎」
「ン…」
 小さい声ながらはっきりと了承を得て、温は腰を動かし始める。その時、だった。

 初めて会った同じ年の瀬の、少年。彼は他の実験者と同じような白い服を着て、射抜くような目で温を見る。その瞬間に、温の全ての運命は決まったのだ。名前をつけるのなら、一目惚れと呼ぶのかもしれない。
 幼い温は、まだその感情を知らなかった。
『出してやろうか。…ここ、から』
『………』
 表情が読み取れない。ただ無言で、丈太郎は温と相対していた。見ず知らずの存在に、警戒していたのだ。
『俺の名前は伏見温。教授の息子だ。俺なら、君を解放してあげられるよ』
 温の父親は、楽園の中でも結構な権力を持っている。息子の温も、その恩恵には与っていた。
 真眼の実験体なんて、いくらでも替えがきく。別に、丈太郎でなくてもいい。だから気紛れに温がその手を差し伸べたって、表面上は楽園に何の損害もない。闇の中で誰かが、人知れず入れ替わるだけ。
『………』
 茫洋とした丈太郎の視線は、投与されている薬の影響なのだろうか。この声は、言葉はちゃんと耳に届いている?温は無反応さに不安を覚え、溜息をつく。人形と喋る趣味はないが、どうしても何かを引き出したかった。
『俺が信用できない?無理もないな、結構、酷いことされてるみたいだし。…でも俺は、あいつらとは少し違う。全部ではないけど。君の笑った顔が見てみたい。そんなこと、あいつらきっと考えもしない』
 その瞳が瞬きをしただけで、温は自分の胸が騒ぐのを感じた。いつの間にか必死に話しかけている自分は滑稽で、こんな姿絶対に他の人間には見せたくない。それなのに不思議と、不愉快ではないのだ。
『一緒に行こう。見返りは何かと聞きたいなら、そうだな…。こういうのはどうだ?俺の、言うことを聞いて。友達になって』
『御堂丈太郎』
『え?』
『俺の名前』
 丈太郎の言葉は簡潔で、名前を教えてもらった喜びに、温は笑顔になる。何度もその名前を頭の中で繰り返し、幸福な気持ちになった。一番、大切な響きを持つもの。御堂丈太郎という名前。
『丈太郎…うん。うん、わかった』
『あっちゃん』
 かわいらしい愛称だった。なんだか、微笑ましさすら感じる。
『…ん?何だよ』
『あっちゃんの言うことを聞くよ。だから…。俺を、ここから解放してくれ。助けてほしい』
 しっかり繋いだ手を、このまま離したくないだなんて。
 ───その時から長い間ずっと、約束は守られてきたのだ。律儀にも温の欲望に応え、二人の関係は対等というには程遠い。けれど、お互いに昔のルールは胸の奥底に秘めたままで。
 この逃走により、温が楽園から受けるペナルティについては、丈太郎は詮索しないこと。自分のことは、温に必ず開示すること。
 初めて芽生えた充への恋心以外なら、殆ど丈太郎は規則通りに過ごしていた。

 幼い記憶は、丈太郎が懐かしんでいたのか。身体を繋ぐと、丈太郎の見ているものが温にも見える。あんなに大切にしたいと願っていた。今はもう、そんな純粋できれいなだけの想いではない。清らかで、醜くて、扱いづらい厄介な愛情。
「そんなに泣くなよ。丈太郎。…笑った顔を見せて」
 思い出に溺れて、今がおざなりになってしまっては意味がない。すすり泣くのは、気持ちがいいから?…それだけではない気がする。なんて思うのは願望だろうか、優しさなんて邪魔なだけなのに。
「俺…、う、上手く笑えない。…やっぱりっ、お前に、酷いこと…ばっかり、してる」
「なんだよ。酷いことって?拝み倒しても、ハメ撮りさせてくれなかったこととか?正直、アレは辛かったな」
「ばっ、か、あ、つ…し…!」
 誰がするかと真っ赤になって、拒否された。たまにはそういうのも、温は面白いと思ったのだが。
「反省する間があったら、とりあえず、可愛い喘ぎ声を出してみるとか。してみてほしい」
「俺、可愛い喘ぎ声とか無理だから!知ってるだろ?…それは、他のところに求めろよ」
「うん。知ってる…」
 知らないことを探す方が、きっと難しい。
 温がかみしめるように続けると、大切な人はいっそう強く泣いてしまった。
「もし、また誘いが現れて、願い事を叶えてくれるって言っても。俺はもう、望むことが何もないよ。丈太郎」

 精一杯のささやかな嘘。それは私が、あなたの幸せの一部でありたいから。


  2009.05.23


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