liar


   act.6



 白鳥正純は、スパイです。間違いありません。

 抑揚のない声で告げられた現実に、優は神津の顔を思いきり睨みつけた。
 目が合っても表情が動かない神津は、「私を睨んだところで、何かが変わるわけではありませんが」と嫌味(本人はそんなつもりはない)なトドメを刺す。
「嘘だ!正純に限って、そんな…」
「あなたが、彼の何を知っているというのですか?優様」
 そう問われてしまったら、何も知らないと答えざるをえない。これから知っていきたいと思っていたところで…、こんな仕打ちは酷すぎる。
「だって…友達…なん、だし……。それって、裏切りじゃないか。俺は…俺は!正純が好きだもん。そんなこと言われたって、信じたくない…」
 しかもこんな大事なことが、本人の口からではなく。余計にショックだ。
「おめでたい話です」
 淡々とした返事が本当に腹立たしくて、思わず白い頬を殴ってしまった。八つ当たりだ。赤く腫れたその箇所だけが、なんだか人間らしいような気がして、やりきれない。
 神津もその痛みに、我に返ったようだ。
「…申し訳ありません、言葉がすぎました。私は、他人の感情に疎くて……。どうか私をお許し下さい。優様」
 神津にハンカチを差しだされてはじめて、優は自分が泣いていることに気づく。
「うっ…うぅ……正純は、他の奴らとは違う!」
「それは…願望ですよ……。友人を美化しすぎるのは、あまり感心できません」
 神津は自分を突き放したいのか、それとも慰めたいのかどちらなのだろう。複雑な気分だ。まあ考えてみたところで、わからないのだけれど。
「誰でも秘密の一つや二つ、抱えているものです」
「お前にもあるのか?仁」
「好きな人がいます」
 意外性のありすぎる言葉だったので、驚いて優の涙が止まった。まじまじとその表情を伺うと、わかりにくいが、ほんの少し照れているような気もしないでもない。
「誰?」
 問いかけられ、小さく首を振る神津。
「…そんなの、普通のことじゃないか。俺にだっているよ、好きな人。お前に向かって普通と言うのは、なんだか不本意なんだけど。仁のは温かくて、優しい秘密だね」
 苦笑する優と自分の言葉とを比較して、僅かだが神津は自己嫌悪に陥る。態度には出ていないだろうが、もう少しこの大事な少年を傷つけない喋り方を、すればよかったと後悔した。
「彼に怒りが湧きますか?」
「……怒りっていうか、それが、正純の仕事なんだろ…。俺は、ただ、悲しいだけだよ…」
「後ろめたいことがないのであれば、連絡の一つもあるでしょう。優様、今後は…」
「うるさい!俺に指図するな!!」
「私は、優様が心配なんです」
「お前が心配してるのは、俺じゃなくて楽園の未来のくせに!」
「誤解しないで頂きたいですね…どちらもです」
 最近神津は、昔に比べて扱いにくくなってきた。
 楽園の忠実なイエスマンであったこの男は、今更ながら人格というものを持ち始めたようで、これは良い傾向だと思うのだが、ある意味で面倒くさくなった。
「今後、どうなさるおつもりなのですか?優様は、どうしたいのです」
「それは…」
 生真面目で世話焼き好きな、友人の顔を思い浮かべる。今彼は、どんな顔をしているのだろう?その疑問がまるで恋煩いみたいで、優は自分の場違いな考えに苦笑してしまった。


   ***


 正純が久々に学校へ顔を見せると、応接室へと呼び出しがあった。そこにはふくれっ面の優が待っていて、正純と目を合わせると、大きな瞳が今にも泣きだしそうに潤むのがわかる。
「お、おはよう。風邪引いてたんだって、心配…した。電話もメールも、出てくれないし」
「おはよう、心配かけてごめんね。本当に、体調崩してたんだよ」
 白々しい挨拶だ。悪いのは自分の方なのに、優がどこまで、何を知ってしまったかわからないから言葉が確信をつけない。スパイ失敗、そうなれば学校は辞めることになるのだろうか。
 ぼんやりそんなことを考えながら、正純は溜息を殺す。
「……………」
「……………」
 優が俯いて涙を堪えているのを見たら、なんだか繊細で守ってあげたいような気持ちになる。まあそれを傷つけてしまったのは他でもなく自分自身で、そんな資格はないのだけれど。
「正純はスパイだって聞いた。だから、俺に近づいたんだって。本当なの?」
「僕が本当にスパイだったら、その質問にそうだよなんて答えられない。だから、本当は意味がないけど…違うよ。僕が信じられないの?優」
 優に対して酷いことをしている自覚は、前からあった。嘘をついて近づいて、傷つけて。
 時々、良心が痛む…最初の出会いからして偽りの友愛だったのだから、今更それを否定することなどできない。
 そう決意したそばから、優はそんな正純の気持ちを揺らがせるのだ。
「信じ…たいよ……。俺は、正純を好きだから」
「…優」
 優の、正純に向ける好意は日頃から一貫している。その無邪気で純粋な温かいものは、正純を困らせたり悩ませたり…嬉しがらせたりするのだ。
 そう、正直に言うと本当は嬉しかった。今の気持ちのように。
「正純と友達になりたい。スパイかどうかなんて関係ない。たとえそうだとしても、正純が俺をちゃんと想ってくれてるって、思いたい。喧嘩して、嘘つきって怒って…それから仲直りしたい。ねえ、俺と…友達に、なってよ……。正純と一緒に…いたい……」
 必死で泣くのを我慢する姿がいじらしくて、滲む声に、その目に、気持ちに…正純は単純に、惹かれてしまったのだった。お互いの立場を忘れたわけではなく、その壁を越えたいと。

『その時の、正純の素直な気持ちに従って動いていれば大丈夫。難しいことは考えないで』

 丈太郎の言ってくれた言葉が、正純を後押ししてくれる。
 自分だって、優のような勇気を出さなければ。対等に、隣りで笑っていられるように。
 什宝会の幹部からは、きっと色々なことを言われるだろう。スパイとバレているのだから、一緒にいれば、優だって楽園側から何と言われるか…。だけど、二人で立ち向かえれば。
 きっと、大丈夫。思いこみではなく困難を克服するだけの気持ちは、お互いの中に生まれている。それで上手くいかなければ、丈太郎や助けてくれる誰かに、相談すればいい。一人じゃない。だから、大丈夫だと信じている。
 できるだけ、優しい声で話をしようと正純は努力した。
「僕もスパイ失格だけど、優だって楽園の王には向いていないよ。だから僕たち、お似合いだと思うな。騙しててごめん、許してくれてありがとう。優」
 堪えていた涙が、優の頬を濡らす。勢いよく飛びつかれ抱きしめられて、正純は少しよろめいた。首元がくすぐったい。泣きじゃくりながら震える肩は、悲しみのせいじゃない。
 優の髪を撫でて、慰めようと試みる。さらさらして、きれいで、羨ましくなるような髪。
「泣いてばっかりじゃ、喧嘩できないよ。嘘つきだって怒る予定なんでしょう?優」
「う、ううっ…だって俺、正純が大好きなんだもん……ぐすっ…。本気で嫌われたのかと思った、試すようなことしたから…俺……」
 楽園の対応は、当然のものだ。それだけ優が大切な存在で、わかっているからそこに踏み込んだ。嫌われたと不安だったのは、正純も同じで。
「嫌われるようなことをしたのは、僕の方。優が謝る必要なんてないよ…ねえ、泣きやんで。いっぱい傷つけた分、これからはもっと優しくしてあげたいって思ってるから。優のこと」
 微妙な間の後らしくないセリフは、ごもっともな理由で却下されてしまう。
「…気持ちは嬉しいけど、優しい正純っていうのもそれはそれで気持ち悪いん」
「言ったね」
 ようやく優が笑顔を見せてくれたので、正純はなんだか安心した。たった数日会っていなかっただけで、随分懐かしいような気がする。
「ありのままでいてよ。嘘はなしで…俺も、そうするから」
 真っ直ぐなそんな願いなら、こんな自分でも叶えてあげられそうな気がした。


  2009.03.08


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