3.エロ魔人のキス
『羽柴。大好きだよ』
頭の中で何度も繰り返される、毒を孕んだ甘い告白。
誘われるままに今日、俺は、一人暮らしを始めたばかりの倉内の部屋にお邪魔していた。
引っ越したばかりだというのに、片付いた気持ちのいい部屋。想像していたよりも、本は少ないような気がする。
「ねぇ、羽柴。キスしてもいい?」
随分唐突なリクエストに飲んでいたお茶を吹き出しそうになって、俺は盛大にむせた。倉内は平然としている。
「…何の脈略もなく、突然そういうこと言わないでくれるかなぁ」
いつも心の準備ができない。倉内の思うつぼだ。動揺する俺に向かって、友達だった男は真っ直ぐに好意を告げてくる。
「だって、好きだから。キスさせてよ」
有無を言わせないほどの強さで、倉内に好きだと言われる度に、自分の中の何かが変わっていくのが怖い。
(何で俺…誘われて、ノコノコ遊びに来ちゃったんだろう。何でって、友達だから。だけどーーー)
「や…やだよ」
細い指が、俺の頬に触れ息がかかるほど近くに顔を引き寄せてくる。
間近で見ればみるほど、倉内の整った造形に間抜けに見惚れるのが悔しくて、目を逸らした。体温が上昇していく。
「それ、やだって顔じゃないよ。羽柴。
どうして来てくれたの、今日。俺を喜ばせるため?」
相変わらず、言葉の選択が強烈すぎる。わざとなんだと、俺の本心を引きずり出す為に、言っているのだとわかる。
お互いに、相手のことをよく知っている。それがプラスなのかマイナスなのかはとにかく、俺に不利なことだけは確かだ。
「わ、わかんない…。
ただ、俺、確かめたかったのかな。倉内の気持ちを」
(あの倉内が、俺を好きだなんて)
倉内が高校の時、片思いをしていることは知っていたし、その想いは成就するものだとばかり思っていた。倉内に告白されて断る奴なんか、いるだろうか。だって、俺なら…
(俺なら、)
「羽柴が好きだよ。こっちを向いて…そしたら、伝わるから」
「ぃ…やだ……」
心臓がドキドキして、うるさくて、何も考えられなくなる。
そんな俺に倉内は笑った。
「…羽柴。俺、そんなに我慢強くないし紳士でもないの知ってる?」
目が合ったのと、柔らかい唇が触れたのが同じくらいだった。驚いて離れようとした身体は抱きしめられて、
「キスしていいなんて言ってない!」
「もう一回してもいい?」
倉内は俺の抗議なんて、まったく気にも留めていない。耳元で囁かれ、不意の刺激に背中が震えた。
「ぁ…っ、駄目に……決まっ…ンーーー!!」
「羽柴、もっと…!」
熱をもった唇に言葉を塞がれ、そのまま深く口づけられて、息ができない。愛情と欲望の混ざった眼差しに見つめられていることに気づいて、見ていられずに俺は目を閉じる。
「は…ぁっ…や、倉内……やだっ、」
繋がっている唇から、身体も、心も、溶けてしまいそう。ずるずると、背中が床に崩れていく。逃げられない。覆い被さる倉内を、払いのけることが出来ない。
「んっ…溶けちゃう…!溶けちゃうっ、から!やぁっ……」
「止められない…。気持ち良すぎて、羽柴…」
ズボン越しでも、俺に知らせるように腰の辺りに押し当てられる倉内の下半身は、硬く熱くなってるのがわかる。
「…ぅ…はぁっ、こんな、エッチなキス…ダメっ…やだぁ……!」
ふわふわした声が出る。こんなの俺の声じゃないし、恥ずかしいし。
「もっとして、って聞こえるよ?」
「違っ、ぁ、ふぁ…」
身体に力が入らない。唇がジンジン痺れて、たまらなくておかしくなる。自分じゃない、こんな感覚は知らない。少し…怖い。
「はぁ…はぁ……」
「好きな人とキスするって、こんなに気持ちいいんだ…。ね、羽柴」
「耳元で話すの、やめてっ…感じちゃうからっ」
聞いたこともないような、倉内のうっとりと陶酔した声音が頭に響く。腰がノックするように俺を揺らして、煽る。
「僕を感じて…」
(感じてるから、勘弁してって言ってるんですけど〜〜〜!!!)
「…ぅ…あぁ……!」
俺はもう、完全に倉内に落ちてる。好きでもない人間にここまでされて堪えられるほど、鈍感じゃない。いつからかわからないけど、元々の好意が、告白されていつの間にか友情ではなく恋に変わってしまっている。
「好き、好き、好き…。愛してる」
耳が犯される。言葉を紡がれる度に俺は身を捩らせ、処理しきれない感情が、涙に変わり溢れていく。
「も…ダメ、ぁはあ……っ」
力の入らない身体で、止めさせるように必死に倉内にしがみつく。泣いているのも見られたくなかった。もう遅いけど。
「心の底ではずっと…。
羽柴が泣くところを、見せてほしいって思ってた。最低かな、僕」
何故か安堵したように倉内は笑って、嬉しそうに俺の涙を拭った。
俺はずっと倉内と仲良くしていたけど、なるべく、人前で涙は見せないようにしていたから、そんなことを思ったのだろうか。
自分の本心を他人にさらすのは苦手だ。同じ生徒会だった渚や、長谷川先生ならまだ、気楽に見せられるんだけど。
「うん、最低…。エロ魔人。
大体俺っ、倉内がこんなにエロいなんて聞いてない!取り扱い注意にも程があるよ。びっくりどころの話じゃない!詐欺だっ」
「羽柴が相手だからだよ」
(適当に流すし…)
沢山文句を言いたい気持ちだったのに、あいにく俺のエネルギーはほとんど残っていない。消耗した。キスってこんなに疲れるもんなの?
「羽柴があんなに可愛い反応をするから、抑えられなかった。
…でも、おかげでわかったことがあるよ」
「何?わかったこと…?」
ああ本当、そこは聞き返すべきじゃなかった。
「羽柴はもう、僕のことを好きだね」
絶対の自信と確信を持って、倉内は余裕の微笑みを浮かべる。俺は何の反応も、否定も肯定もできずに、唇を噛んだ。
(なんか…この勝ち誇った顔がすごいムカつく……)
「表情も、声も、身体も…。全部、初めて、俺に見せてくれる羽柴で。嬉しくて…なんか、ニヤケちゃうっていうか」
「………倉内…」
そういえば俺だって…倉内の泣いたところなんて、あまり見た憶えがなかった。そう考えるとなんだか、お互い様のような気もしてくる。
「…ふふ。嬉しい時も、涙って、出るんだね…っ」
(…ずるいなあ、もう。イケメンの涙って最高に卑怯だよ)
散々いやらしさをまき散らしていた倉内は、綺麗な涙で声をつまらせる。一瞬見惚れてしまう俺は、何の進歩もしていない。
簡単に作戦に乗ってしまう。
「もーーー、何なの。泣きたいのは、俺の方だっての」
大学に落ちたこと、ものすごくショックだったのに。今はそんなことより、倉内の涙に動揺してる。
「好きだよ。羽柴、大好き」
「わかったわかった。もう、わかったから」
倉内の髪は俺のくせ毛と違って、さらさらと触り心地の良い髪をしている。指ですくうと、流れていく黒髪が気持ちいい。
でも悔しいから、何かを訴えるような目で見つめられたって、俺はまだ、素直に好きだなんて言ってあげない。
あんな意地悪なキスをされたから、これはその、お返しだ。
2016.01.04