あとのまつり



 そもそも、人混みがあまり好きではないのに出かけようと思ったのが間違いだった。

 もしかしたら後藤に逢えるかもしれないと、淡い期待を抱き夕方に家を出て。
 学生時代の親友と喫茶店で合流し、秋月は久々の再会に嬉しそうに笑った。
「文久、元気やったか?直接逢うんは久しぶりやな」
「ヒロオは?まあ、元気そうに見えるけど」
「俺、元気だけが取り柄やし。健康優良児の見本、てな。生徒とは上手くいっとん?文久ボケーッとしとるしな、なめられとんじゃないかと思て心配やわ」
 神崎 洋生。高校時代からのくされ縁だ。お互い決してマメは方ではないのだが、気まぐれなつきあいは、今も途切れずに続いている。逢えば距離など飛び越えるように、懐かしい空気が秋月の胸を温かくした。
「……ボーっとしてるんじゃないよ。考え事してるんだよ」
「端から見れば同じことや」
「………悪かったな」
 口では神崎には勝てない。ふてくされて、秋月はそっぽを向く。
「コレで、機嫌直しって」
「禁煙中」
 差しだされた煙草を押し返し、溜息混じり、自分に言い聞かせるように告げる。
 神崎ときたら、面白そうに笑うのだから。他人事だと思って。
「へえ?どういう心境の変化なん?」
「生徒の見本になるような教師を目指してるんだ、僕は」
 自分の言葉が白々しく聞こえる。教師ほど向いていない職業も、ないかもしれないと。
 最近とみに―――、思い知らされている気がする。
「やる気のとこ悪いけど、誰にでも向き不向きはあるわな」
「どういう意味だよ」
 ダメだしだけは、自覚もしているのだから少しは甘くみてくれても。
「畑違い、つーこった。おお、もうこんな時間!花火間に合わんなる前に、急ごや」
 上手く誤魔化された、と思った。
 祭の中心である神社へと続く道が近づくに従い、すれ違う人の波も多くなる。神社へ入って暫く経つと、神崎はかかってきた電話に溜息をつく。何となくその様子で、会話も察しがつくというものだ。彼が忙しい日々を送っていることは秋月も知っていたし、顔を見れただけでも良かった。
 そう笑うと、申し訳なさそうに手を合わせ神崎は走って行ってしまった。その時帰れば良かったのかもしれない。少なくともそうすれば嫌な思いをせずに、させずに済んだ。
「―――――文久?」
 心臓が、止まるかと思った。本当は。
「志賀さん?こんばんは」
 何気なくそう返事ができた秋月に、志賀と呼ばれた男はそのまま表情を歪ませる。
「随分、他人行儀じゃない?久しぶりの再会なのに、つれないな」
「今はもう、昔とは違いますから」
 不快感が込みあげてくる。もう二度と、顔を見ることもないと思っていた。随分昔に、別れた男。志賀令治…忘れたくても、秋月の中にいつまでも居残ったままの残像。
 秋月は志賀の薄ら笑いから目を逸らし、触れられた腕をはねのける。
「そう言われたって、俺は何も変わっていないよ?今の君だって、…俺たちが出逢った頃にそっくりじゃないか」
 愛されてなどいなかったのだ。彼に、ただ面白いオモチャとして使用されただけで…。
「あなたと別れて、自分を取り戻したんですよ」
「酷い言いぐさだ。もしかして今、デート中?」
 興味もないくせにと、秋月の唇が歪む。
「デートも何も、志賀さんも顔見知りの神崎洋生と来たんですよ」
(ヒロオはもう帰ったけど)
 志賀が目を細めた。嫌な笑い方だ、とても。
「ああ、そうなんだ?相変わらず仲が良いなんて、羨ましいな。俺も文久と別れたくなかったのに」
「志賀さん、彼女が呼んでますよ」
 もう行こうよ、何してんのよ。そうなじる高音に、秋月は息をついた。
 志賀が振り向いて、
「アレは彼女じゃないよ、ただの友達」 
 おそらく愛情の欠けらもない視線で、彼女を見た。
 他人事なのに、何故かその態度がひどく腹立たしい。胸も痛かった。
「…相変わらず、ひどい人ですね」
「愛情表現なんだよ…ねえ。文久、君だってわかってるだろ?俺がどれほど、君を愛しているのか」
 髪を撫でるのは、飼い主がペットを撫でてやるような行為でしかないのだ。彼には。
 秋月は眉を寄せて、動揺を悟られないよう落ち着き払った声で続ける。
「触らないでくれませんか。それにそこは、過去形で話すべきだと思いますが」
「結婚しようかどうか迷っていたんだ。でも、今こうやって俺たちが再会したということは、結婚は止めるべきなのかもしれない」  
(そんなの、僕に関係ない…)
 聞きたくもない志賀の事情を遮るように、抗議する。もう一秒でも早く、この場から離れたかった。
「訳のわからない理屈を話すのは、やめてください」
「もう一度やり直そう、文久。今度こそ大事にする、本当だよ…誓ったっていい」
「あなたにも僕にも、他にもっと相性の合う人がいますよ」
(嫌だ)
 諭すような口調。この唇がこの声が、とんでもないことを自分に要求してきたことを忘れられない。 
「君と別れて何人かとつきあってみたけど…文久ほど、俺に合う人はいない」
「そんなの、ただの勘違いだ」
(嫌だ、嫌だ…)
 会話をしたところで平行線。下世話な方向転換に、秋月は苛ついて声を荒げた。
「…そんなに、今の彼氏のセックスがいい?」
「そんなくだらない質問、答える義務はないですね」
「まさか恋人がいないなんてこと、ないだろう?もう今じゃ、男なしじゃ生きられない身体だろうし」
「いい加減にっ、」
 強い力で手を握られて、秋月の血の気が引いた。泣きそうになる。
 瞬間感じたのは恐怖と、それから…、
「手が冷たくなってるよ、文久。この細くてきれいな指、俺のものだったのに」
 気障ったらしく指を舐められて、鳥肌が立った。たまらなく気持ち悪かった。
「っ、触るな!」
 振り払おうとして、身体を引き寄せられる。
「…さっきから思ってたんだけど。もしかして、文久は俺を煽ってるのかな?いじめて欲しくて、わざと素っ気ない態度を取っているとか。君は、素直じゃないからね」
 囁かれた言葉。これ以上何か言われたら、もう手遅れだったかもしれない。
「秋月先生、探しましたよ」
 祭の喧噪とは場違いな、落ち着いた長谷川を見て。
 この人はいつも…まるでポーカーフェイスのヒーローだと、自分の考えにおかしくなる。
「誰?文久の彼氏?さっき神崎と来てるって、言ったじゃないか」
 もう、大丈夫なんだと思った。
「…察して頂きたいものですね。秋月先生、行きましょう」
 長谷川は秋月の肩を抱き、冷たい一瞥を志賀に向けて歩きだした。その雰囲気に気圧されたのか、追いかけようとも、それきり何か言ってこようとも志賀はしなかった。
 元々そういう性格で、見かけたから声をかけてみただけで、そうしたらからかいたくなって…ただ、それだけのことなのだ。最悪な別れ方をしたきり、二度と、逢うこともないと思っていた。
 多分これからも、つきまとわれたりだとか、そういう類のことはないだろう。その辺の格好だけは、気にする男だ。
「何か食べますか?カステラでも買いましょうか。甘い物を食べると、気持ちが落ち着きますからね」
 静かな優しい声に、秋月は顔を上げた。
「僕は、花火が観たかったわけじゃないんです。後藤くんに逢えるかもしれないって思ったから…。そうしたら、絡まれてしまって。…笑っていいですよ」
「俺も、秋月先生に会いに来たんです。だからあなたのことを、笑ったりできない」
「長谷川先生?」
「言ったはずだ。最初に探しましたよ、と」

 その瞬間、

「あ」
 思わず声が出てしまった、こんなに多い人の波の中すぐに視界に入ってくる、鮮烈な印象。
 どうしてだろう、いつもそうだ。後藤は周りの空気から、まるで浮いた存在のように姿を現してくる。強烈な存在感。特別美形というわけではない、ただ、フェロモンが濃いのかもしれない。
 後藤が振り返った。隣りには羽柴と、それから倉内もいるようだった。…珍しい組み合わせだ。ほほえみはきっと、自分に向けられたものだ。秋月の頬が赤く染まった。瞬間、何もかも忘れる。後藤のことしか考えられなくなる。
「偶然だな」
 後藤が笑った。
 形の良い唇を歪ませ、力いっぱいに倉内が、後藤の脇腹を肘鉄する。
「偶然じゃないでしょ。何言ってるんだか…フミちゃんたちはパトロール中?」
「知らない人間に、ついていったりするなよ。お前ら」
「本当に心配なら、僕たちにつきあってもらえませんか?長谷川先生」
 何か悪巧みを思いついたような、倉内の笑顔だった。
「何だ?」
「羽柴が、焼きそば食べたいって言うから」
「俺そんなこといっ…てえな!踏んだな?!倉内も、マサの凶暴性が感染したんだろ」
 ただ一人状況を理解できていない羽柴が、涙目で倉内を睨む。
「うるさい。行くよ、羽柴。長谷川先生、引率してくださいってば」
 強引に、倉内が長谷川の腕を引く。やれやれといった様子で、二人の後を長谷川がついていった。
(…なんだか、恥ずかしい気の利かせ方だけど)
 おかげで二人きりになれた。
 秋月と後藤は顔を見合わせ、どちらともなくほほえんだ。
「このあいだは、暑中見舞ありがとう。後藤くん、日焼けした?」
「返事もらえて嬉しかった。あ、花火始まったみたいだ」
「後藤くん」
 思わず名前を呼んだのは、どさくさに紛れ指が絡んできたからだった。
「先生。つきあおうよ」
 花火に視線を向けたまま、後藤は何気ない口調で続ける。
「どこにいてもアンタのことばっか考えて、オレ、おかしくなりそうだ」
「できないよ、後藤くん」
 この手を解くことさえも自分は、
「オレたちの関係が、先生と生徒だから?」
「他に、何の理由がある?」
 花火が他人事のように、遠くの方で綺麗な華を咲かせているのが見える。
「…本当は、オレのことからかってるだけなんだろ」
 自嘲めいた言い方だった。
「後藤くんのこと、からかったことなんてないよ」
「だったら、」
「高校生活はこれからも長いんだよ。他に好きな子ができるかもしれない。…それこそ、かわいくて優しい女の子だとか。何もそんな、君が思いつめなくてもいいんだ」
 頬に手が触れ、後藤と目が合う。
「それ、本気で言ってんのか?」
「だから、後藤くんに冗談を言ったことなんてないよ」
(怯むな…)
 見つめ合ったまま後藤が、確信したように告げる。
「先生がオレのことを、好きなのは知ってるんだ」
「確かにそれは事実だけど、僕は後藤くんと、つきあう気はないんだ」
「………」
 気まずい空気が流れるまま、それでも手を繋いで花火を見た。
 そろそろ終わるだろうという頃、焼きそばをぶらさげて三人が歩いてくる。
「悪い、オレ先に帰るわ」
 温かい感触が手を離れ、後藤は人混みに紛れてしまう。
「え、ちょっとマサ!俺も一緒に行くってばっ」
「…行っちゃった。フミちゃん、後藤とケンカしたの?大丈夫?」
 どう、答えていいのかわからない。
「俺が送っていきましょうか。倉内、お前も家まで送ろう」
「僕なら、一人で平気ですよ。…子供じゃあるまいし」
「…だから、心配なんですよ」
 自嘲するような笑みを浮かべ言い捨てた秋月に向かい、真摯な表情で長谷川が溜息をつく。
 二人を見て何か言いかけた倉内だったが、携帯の呼び出しに眉をしかめた。後藤からだった。
「そう。…わかった、僕も一緒に帰るよ。そこで待ってて。文句は、合流してからにする」 
 通話を切り、微笑を浮かべて。
「バカだよねえ。後悔したって、あとのまつりなのにさ。僕は、後悔なんてしない。間違ってるかもしれなくても、それが自分で選んだことなら」
 誰に向けての言葉なのか、問う前に倉内も見えなくなった。
 ぽつりと、秋月が口を開く。
「後藤くんに、嫌われたかもしれません」
「なぐさめてほしいのなら、俺にそう言ってください」
 それは優しさなのだろうか、
「いえ、そばにいてくれるだけで十分ですよ」
 長谷川がいなければ自分は、どうなっていたかわからない。
 何度も救われた、今もこうして隣りで立ってくれている。どれだけその存在がありがたいか、
「秋月先生。俺はあなたを、みっともないなんて思わなかった」
「ああいうのがお好きなんですか、長谷川先生」
「え?」
 面食らったような長谷川の顔。なかなか、見れるものじゃない。
「僕は元々は別に、セックスが好きなわけではなかったんです。ただ、どうしようもない衝動を、抑えることができない…。そういう身体を…自分の中にある欲求と、つきあっていくしかないんですよ」
 そうなるように、志賀に調教されたせいで。
「秋月先生…」
「理性とのバランスが、難しくて。未だに、飼い慣らせずにいますけど」
 時折、憎らしささえ感じるほどに。自分のいやらしさが疎ましい。
「でも、きれいでしたよ」
「ふふ」
 可笑しそうに声をあげて、秋月が笑った。
「どうなっても知らないですよ。そんなこと言って…僕は、あなたの優しさにつけこむような男なんだ。他の男を好きなのに、平気で快楽のために抱かれるような」
「いいですよ、あなたになら利用されても。俺にそんな価値があるとは、到底思えないですがね」
 長谷川の考えが読めないのは、相変わらずだ。思わず、笑いが引きつってしまう。
「そんなに僕が好きですか?それとも同情してるんですか?見ていて…面白い、ですか?」
「そんなこと、どうでもいい話ですよ。問題は、あなたがどうしたいかで…。
 俺はただ、その話に乗ると言っているだけです」
 どうしたいかなんて、そんなこと。
「また、はぐらかすんですね」
「秋月先生こそ、自分のことを棚に上げてますよ」
 長谷川といると居心地が良すぎて、
「僕は後藤くんが好きだし、彼もそれをわかってますよ。さっきだって、言われたくらいだし」
「ノロケですか?参ったな」
 嘘がつけない。自分の本音が隠せなくなる。
「さっきのケンカの原因ですよ。ノロケだなんてとんでもない」
「後藤が可哀相だな」
「…長谷川先生、帰りましょうか。もう僕も、用は済みましたから」
 先に秋月が歩きだすと、すぐに長谷川が追いついて並ぶ。
「責任持って、部屋までちゃんと送り届けてくださいね」
 その言葉の意味は伝わったのだろう、長谷川が腕を伸ばしてくる。されるがまま、繋いだ手の温もりを思い出そうとして、秋月はギュッと拳をつくった。
 先ほどの倉内の言葉を、脳裏で反芻する。雑踏を歩くうちにろくな思考もできなくなって、祭りの後の余韻は、まだ続きそうだった。


   ***


 騎乗位で腰を揺する秋月は、普段と比べると想像もできない艶っぽさだった。あの時身体を繋げてから毎夜、この時を夢に見てしまう。長谷川はそんなことを考えながら、秋月と舌を絡める。
「ぁ…んん…んぅ……」
 秋月も自分で、イイところはちゃんとわかっているらしい。いやらしい腰つき、身悶えする淫靡な身体。グチュッグチュッと二人を繋げる音が、生々しく耳に残る。
 花火の最中、秋月が後藤とどんな時間を過ごしたかなんて関係ない。興味もない。この身体を貫いているのは自分のペニスで、秋月は気持ちよさそうによがっているのだから。
「気持ちいいですか?俺のペニスは」
「…いい、です……ぁは…最高…っ…アッ、ア、ぅう…!」
「学校であなたを避けたのは…そのいやらしい喘ぎ声と身体が、忘れられなくて対処に困っていたからですよ。学校のトイレで、あなたを犯すわけにもいかないでしょう?」
「あぁぁん!先生…長谷川先生っ……」
 淫夢と少しも変わらない秋月の痴態が、現実のものとしてあるのだ。自分の名前を呼んで、腰を振って…たまらない。夢中になってしまいそうになる。
「あっ、僕…出ちゃう…ア、ア、ア、アン!…ぁあ…出るぅ…」
「くっ…」
 精液と汗で、お互いの身体はベトベトになっている。
 痙攣する秋月の中で堪えきれず、長谷川も吐精してしまった。自分の中で脈打つペニスから放たれたものが、より秋月の快楽を引きずり出す。一度達した後なので、感度が敏感になっているのだ。
「…ぁ…駄目っ……あぁぁ…」
「ズボズボって、すごい音…。先生の中は熱くて、とろけてしまいそうですよ」
「いやぁ、アアッ…!動いちゃ…ああん…アッ……」
 秋月が後ろに手をついて、淫らに腰をくねらせる。泣きながら喘ぐ唇、尖りきった乳首。再び硬くなってくるペニスは、最高の眺めだった。
「……あ、ひあっ…アン…やだぁ……またイクッ…先生のおちんちん、気持ちいいの…!」
 肉欲の本能だけに身を任せ、秋月は何度も何度も腰を擦りつけるのだった…。


  2004.08.17


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