隣の部屋


(旅の途中、比較的大きな街の、こぎれいな宿の廊下で)
一日目

 あ、どうもおはようございます。いえいえこちらこそ。ええ、僕は隣の部屋に泊まっている猪八戒といいます。お世話をおかけしています。あ、これはこれは、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。
 そうなんです。こんな大きな街に泊まるの僕達、久しぶりで。だからですかね、悟浄がお酒を持ち込んじゃったんですよ。昨日はうるさかったんじゃないですか。ご迷惑おかけしてすいません。
 え? はい、そうです、髪が赤くて目が切れ長で背が高いのが悟浄です。昨日廊下ですれ違ったのを覚えているんですか。あははは。 確かに悟浄は目立ちますからねぇ。
 え、なんですって、金の髪のお坊さんも相当目立ちますか? ああ見えて彼は偉いお坊さんなんですよ。
まぁ、僕みたいに髪も黒くて一般的なのから見れば、三蔵も悟浄もすごく目立ちますよねぇ。あ、いえこれは独り言で。
…………え、なんですって。緑色の目が翡翠みたいで綺麗だって……僕のことですか?  あははははは。そうですかね。
   いえ、実は僕、自分のことってよく分からない……というかどうでもいい気がしてきちゃって。でも、面と向って言われるとさすがに照れますね。
 え、なんですか。
悩み事があるんじゃないかって? 僕がですか?  唐突な質問ですね。そんなふうに見えますか?
……分かっちゃうんですかね。うーん。こんなことをお話するのもどうかと思うんですけれど……。聞いていただけますか。
……実は、悟浄と三蔵って、相思相愛なんじゃないかって思うんですよ。
 あっ。なんで、そんな顔するんですか。いや、そりゃ悟浄も三蔵も男同士ですけど、いいじゃないですか。僕、こうしたことに偏見は少ないつもりです。
 それに、悟浄にはとてもお世話になりましたし、三蔵にも……色々助けてもらったんです。ふたりのお役に立てるものなら立ちたいんですよ。
 だって、昨日もあのふたりったら、誰もいない部屋で見つめあってたんですよ。深刻そうに。何かあると思うでしょう普通。 三蔵はすごい目つきでいつもより眉間に皺を寄せてるし、悟浄は悟浄で唇を噛み締めてるし、ふたりっきりで深い話をしていたようなんです。
 しかも、僕が部屋の中に入ると、ふたりしてぱっと離れて、話しを止めるんですよ。怪しいと思いませんか。
そう、あのふたりはお互いを意識しているんだと思います。でも意地っ張りですからね。素直じゃないんですよ。もっと歩み寄ればいいと思うんですけど。
 だから、僕がここはひとつキューピッド役を買ってでようと思うんです。 今日は悟浄の気持ちを訊いてみます。





二日目

 おはようございます。今日もいいお天気ですね。え、眠れなかったんじゃないかって? どうしてそんなことを。そんな顔色ですか。弱りましたね。うーん。
 実は、昨日、悟浄に訊いてみたんです。さりげなく。ええ、さりげなくですよ。
「三蔵のことをどう思いますか」って。
 え、全然、さり気なくないですか。いいじゃありませんか。こういうのは単刀直入に話すのが一番ですからね。それに相手はあの悟浄ですし。悟浄にまわりくどい例え話なんかしたって返事してもらえませんよ。ええ、長いつきあいですからね。僕、悟浄のことならよくわかってるんです。
 ま、ともかく悟浄の気持ちを訊いてみたんですよ。そうしたら、悟浄、なんて答えたと思います?
「なんで、そんなこと俺に訊くのよ」ですよ。
 図星を指されてびっくりってとこですかね。
……でも、そのわりに不機嫌そうなんですよね。まるで、質問の内容自体が不愉快だって感じで、怒ってるんです。こう、目をつりあげて、前髪の触覚をびりびり立てちゃって。本当に困りました。
 しかも、悟浄ったら逆に「お前は三蔵のことどう思ってるんだ」って訊くんですよ。なんで、僕のことなんか訊くんだろうって思いましたけど、ここは悟浄の大切な人のことですから、三蔵のことを精一杯ほめました。
「三蔵のことは、信頼できるし尊敬してますよ」って。
 そうしたら、悟浄ったら、無言で部屋から出ていっちゃったんですよ。なんだっていうんでしょうね。
 しかも、夜は夜で酒場にでも行ったのか帰ってこなかったんです。
 僕が何かいけないことを言ったんでしょうか。責任感じてしまいました。でも、どうしてあんなに悟浄が怒ったのか、全く分からないし、そんなこんなで、いろいろ考えていたら、夜更かししてしまって、今朝はすっかり寝不足です。
 ああ、すいません。愚痴を言ってしまいました。難しいですよねぇ。こういうことって。
 僕、段々、悟浄の気持ちが分からなくなってきましたよ。
 明日は三蔵の気持ちを訊いてみようと思います。三蔵は短気ですけど、話せば分かってくれるはずです。





三日目

 おはようございます。え、今日も顔色がよくないですか。そうですか。……世の中ってうまくいきませんねぇ。
実は、昨日三蔵に訊いたんです。いや、正確には訊こうとしたんです。
 そう、僕が「悟浄のこと、どう思ってるんですか」って訊こうとして「悟浄」って言った瞬間に……三蔵、突然銃で撃ってきたんです。
 え、ああ、いいえ、そんなに心配されなくっても大丈夫ですよ。ええ、僕ら、もう三蔵の短気なのには慣れっこで、銃の弾なんか幾らでもよけれるんです。すっかり順応しちゃってて。
 でも、三蔵は僕に対してはそんなこと、あんまりしなかったんですがねぇ。たぶん、これは、相当悟浄のことを意識してますよ。
 だって、僕がその後、「どうして、いきなり撃つんです!」と叫んだら、三蔵ったら「てめぇの口からあの赤ゴキブリの名前が出ると腹が立つ」ってすごい剣幕なんですよ。
妬いてるんでしょうね。え? そうそう。僕が悟浄をとってしまうとでも思っているんじゃないですか。幼稚園児じゃあるまいし、何を言っているんでしょうね、三蔵は。僕もそう思います。
 え? 何ですって。
 三蔵と悟浄は別に両思いでもなんでもない気がするって。どうして、突然そんなことを言うんです?
 え、むしろふたりとも僕のことを意識してるんじゃないかって? そんなハズ、ありませんよ。悟浄は以前から面食いなんですよ。なにしろ彼はてこずるような美人が好きなんです。三蔵だったら、まさにぴったりなんじゃないですかね。
 少なくとも、悟浄の好みは僕じゃありませんよ。ええ、悟浄のことならなんでも知っているんですから、大丈夫です。同居までしていた仲なんですから。
 明日は三蔵と悟浄に食料品の買出しに行ってもらおうと思います。こうやって、機会をつくってあげないと、あの意地っ張りなふたりじゃ、まとまるものもまとまりませんからね。
 いや、本当にまわりは苦労しているんです。





四日目

 おはようございます。今日は雨ですね。まだ、小雨ですけど、パラついてきましたね。
 僕、どうも雨は苦手で、そう、低気圧。あれがよくないんでしょうね。結構、古傷にも響くんですよ……。え? 今日の僕の話し方、とりとめないですか。うーん。もともと、そんなにおしゃべりな方じゃないんですけど、ストレスがかかると人間ってよくしゃべるっていいますしね。
 そう、雨の日はいやなことまで思い出してしまいますから。いえいえ、すいません。僕の昔の話については、今日は話す気分じゃないんです、許してやって下さい。
 え、昨日の悟浄と三蔵の買出しはどうなったか、ですか。
……散々でした。ふたりともあれは相当な意地っ張りですね。いや、知ってはいたんですけどひどいものですよ。
 砂糖とか醤油に油、調味料の類を頼んだんですが、路上でケンカをしちゃったらしいんですよね。砂糖の袋には三蔵が銃で穴を開けちゃうし、油は悟浄が拳で打って、金属の容器が変形して溢れちゃうし、もう散々ですよ。
 ああ、僕がふたりとも叱りつけましたけど。ええ、僕、食べ物を粗末にする人間って、許せないんですよ。せっかく、調理場を借りて腕によりをかけたものをつくろうと思ってたんですがね。材料がないんじゃ、できないじゃないですか。 悟空はしょげちゃうし、もう最悪です。
……うん。雨のせいか、愚痴っぽいですよね。すいません。こんな話を聞くの、イヤじゃないですか。大丈夫ですか。 
 今日こそは、悟浄にはっきり訊いてみますよ。「いいかげん、意地をはらずに三蔵に告白したらどうですか」って。もう、そうしてくれないと、こっちが迷惑ですからね。





五日目

(八戒は起きてこなかった)
(隣の部屋からはずっと八戒の泣声のようなものが聞こえてくる)





六日目

…………! 
 廊下にちょうど人がいないと思って……安心してたんですけど……。おかしいな。
……貴方、いつからここにいたんですか? おは……よう……ございま……す。すいま……せ。なんだか、喉の調子が……。
 ええ、ちょうど水を飲みに起きたところで……。
 そういえば、今って何時ですか。時間の感覚が昨日から……。え。もうお昼なんですか。……そうですか。はぁ……。ああもう……。こんな、どうしよう。
 え? なんですか。
 僕の目元、はれてます? い、いいえ僕は別に泣いてなんか…… え? 昨日、隣の部屋まで僕の声が聞こえてたんですか? う……。
 昨日は起きてこなかったけど、どうしたのか、って。心配をおかけしたみたいですね。
……そうです。一昨日の夜、悟浄に言ったんです。「三蔵に告白したらどうですか」って。そうしたら、悟浄が突然「八戒サンってば俺のこと本当に分かってねーよな」とか言い出したんですよ。聞き捨てならないじゃないですか。
 だから、僕も「貴方のことなら、なんでも分かりますよ」って言ったんです。そうしたら、「じゃあ、俺が今したいこと分かる?」って訊くんですよ。「俺のことなんでも分かるんだろ。じゃ、俺がしたいことさせてよ、八戒」って……それから先のことは……ああ。もう僕の口からはとてもいえません。
 え、なんですって。首に赤いのがついてるって……。…………!
 い、いや、なんでもないです。これはなんでもないんです。本当になんでもないんですったら。い、いやよく見せてくれなんて、とんでもないです。ダメですよ。ちょっとこうやって手で隠しておきますから。む、虫にでも刺されたんです。きっとそうです。昨日は暑かったじゃないですか?
 それですよ。そういうことにしておきましょう。
 あっと。痛い。悟浄ッ突然、ドアを開けないで下さい!「ごじょ、サミシー」って。知りません。知りませんよ、もう貴方のことなんか。僕にこんなひどいことをしておいて、よくもそんな甘えた口がきけますね、貴方ってひとは。
 なんですか。「鈍感な八戒が悪い」って……。……もう。今お隣さんと話してるんですよ、ちょっと黙ってて下さい。
 え、「僕が夜あんな声を上げるから、隣に聞こえちまったんだろう」ってなんてこというんですか、第一、こんなことになったのは、誰のせいだと思ってるんですか。
 ひどいじゃないですか、突然、僕にあんなことを……! ッ! あ、ッ……やめ……やめて下さい。人前で……!しかも廊下なんですよ。貴方、分かってます? 宿の廊下なんて……あッ……ダメですよ、こんな公共の場で……あっ……ああ……そこは……ダメで……あぅッ……ん。はぁ……ッ……。
 なら早く部屋に入れって……部屋でまた……ああ……ごじょ……そんなところ……あッああッ。ダメ……ごじょッ。
「見せモンじゃねーぞ、帰れ」って悟浄、お隣さんになんて口、きくんですか……あっ……ああッ……。……すいません。ご迷惑おかけしちゃって。これで僕達、失礼します。……あ、触らないで下さ……ごじょ……ッ。