ニィ博士×八戒

「はぁ、疲れたなァ、もう」
 ニィ健一は、自宅マンションの廊下で呟いた。勤務している研究所はそう遠くない。しかし、今日も定時とは程遠い帰宅だった。
 青みがかった濃いグレーのスーツが、よく似合っていた。
 とはいえ、仕事場では、シャツの上に白衣着用なので、管理職でもない限り、若手研究者の格好はかなりカジュアルだ。
 ニィの格好も、営業や事務系サラリーマンの気合の入った背広姿とはひと味違っていた。ブレザーやスーツが好きだから、さりげなく着ているという洒落た風情だった。
 ニィ博士は歩きながら首を左右に回した。関節が鳴る。長時間の分析作業で肩が凝っていてしょうがなかった。
「あーもう。新婚さんなんだから、もっと早く帰して欲しいよネェ」
 一見、聞こえこそいいが、理系研究者なんて、その実たいしてうまみなんてない。
 民間系の企業だと、どんな画期的な開発をしても権利は全て会社のものになってしまうし、出世にしたって文系が牛耳ってるのが世の中だ。
 苦労して大学院を出て、博士号を取ったって、分野によっては就職に困る連中はごろごろしている。
 かといって国の研究所ならいいかというと、それも疑問だ。いまやどこも独立行政法人だし、給料は安い。労多くして功少なしとはまさに理系人の言葉だ。
 とはいえ、最近のニィ博士は上機嫌だった。ぶつぶつ文句をいいながらも、その口元はにやけきっている。
 うきうきとした足取りで、ニィ健一は自宅のドアの前にくると、チャイムを押した。
 ピンポーン。
「はい……お帰りなさい」
 すぐにドアが開いた。爽やかな香りとともに、黒髪碧眼の美青年がエプロン姿で出迎える。幻覚だろうか、清純な白い花でも背景に背負っているかのようだ。
「ただいま……八戒ちゃん」
 ニィ健一は、一日の疲れも吹き飛んだとでもいうような顔で、目じりを下げた。
 八戒は、ニィの抱えている黒革のカバンを大事そうに受け取った。
「疲れたでしょう。お疲れ様です」
 八戒は優しくニィを労(ねぎら)った。
「ん、いやぁ。ゴメンね。遅くなっちゃって」
 ニィは頭に手を回して、その黒髪をぐしゃぐしゃと照れたように掻き回した。
 なにしろ、八戒とニィ健一はひとまわり以上も年が違う。ニィ健一はこの年下の黒髪の天使ちゃんが可愛くてしょうがなかった。
「お風呂にします? ご飯にします? 」
 八戒が優しく微笑んだ。黒い前髪がさらさらと揺れる。白い顔は心なしか上気して、頬がうっすらとピンク色に染まっている。ニィ健一はそっとその頬に手を添えた。
「八戒ちゃん……」
 そのまま、玄関先だというのに、突然八戒を抱き寄せた。
「あ……! 」
 八戒の身体が竦んだ。
「お風呂にします、ご飯にします……か」
 ニィ健一が唇の端をつりあげるようにして笑った。きつく八戒を抱きしめて離さない。
「そんなモンより…… 『僕にします? 』 って……言ってくれないの……? 」
 ニィは新婚さんの約束のベタなセリフをうれしそうに囁いた。恥ずかしい。
 そのまま、玄関で八戒を押し倒そうとする。
「ダメ……ダメです!」
 八戒があわてて、逃れようと腕の中で抗う。
「いいじゃないの。夕ご飯は……キミを食べてからにするよ……ね」
「い、いけません」
「ああ……キミってばホントいい匂い……」
 そのときだった。
 ピンポーン。
「……誰だろうネェ。こんな夜中に」
「お、お隣さんですよ! 」
 八戒には心当たりがあるらしい。
「隣ィ? いいよもう。ほっとこーよ……邪魔だなァ」
 ニィがうんざりした口調で呟くと、それに対抗するかのように呼び鈴が立て続けに鳴った。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
「ちょ……ナニ! 」
「だからお隣さんですってば」
ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
 小学生の悪戯だって、これほどまでには押しまくらないだろうというくらい、呼び鈴が押された。
「で、出た方が」
「イヤだよ。非常識だよこんな夜中に。僕と八戒ちゃんの濡れ場の邪魔するなんてサァ……ほっとこうよ……それより……ほら」
「あ、ああッ……ダメ……ッ」
 ニィがチャイムの音を無視して、八戒とうれしはずかし新婚さん全開で行為を続けようとする。
 八戒の服のボタンをひとつずつ外す。その癖エプロンはそのままにしている。どうも裸エプロン姿にでもしたいらしい。男の夢だ。
「可愛いよ……ボクの八戒ちゃん……」
 すると。
バキッ!メリメリッ。ガタッ、バターン!!
 ニィがまさに八戒の身体を、敷き込もうとしたそのとき、ドアが外から破壊された。
「な、なんだァ?!」
 思わず、さすがのニィ健一も、メガネをずり落として叫んだ。
「回覧板ですよ! 奥さんッ!!! 」
 低くドスの効いた声とともに、そこへ現れたのは――――。
 金色に光る髪、紫暗の瞳、白皙の美貌。少し厚めだがこれ以上ないほどに整った唇。
 それは、どこからどうみても三蔵だった。
 しかし、格好は少々妙だった。
 小花模様のやたらと可愛いエプロンを着用し、愛用のハリセンを構えている。
 そんな、いささかミスマッチな姿で、仁王立ちしていた。相当、ハリセンを握る手に力が入っているらしい。腕に筋肉の筋が浮き出ている。
「あ……これは……隣の玄奘さんの奥さん」
 八戒は、ニィ健一に押し倒されたまま挨拶した。ドアが破壊された衝撃で、八戒の顔のすぐ横にはスリッパが散らかり、傘立てが倒れている。ひどい惨状だった。
 三蔵は挨拶もそこそこに、破壊したドアをよいしょとばかりに邪魔そうに蹴り、横へどけた。重そうな音を立てて、ドアが倒れる。
「てめぇんとこのドアは、根性がねぇな。ちょっとハリセンで叩いただけなのに壊れちまったぞ」
 人の家のドアを完膚なきまでに壊しておいて、たいした言い草だった。傲岸不遜の権化とでもいった口調で吐き捨てるように言ってのけた。
「な……なななッ」
 ニィ健一は開いた口が塞がらなかった。どういうお隣だろう。常識というものを疑ってしまう。
 しかし、博士とて凡人ではない。心の中で舌打ちすると、三蔵に向かって言った。
「……こんな夜遅く、ご苦労さまですネェ(←イヤミ)御用がお済みでしたら、お引取り下さい。ボクは愛する家内と夜の営みがありますので!! 」
 こちらも堂々と恥知らずにも言ってのけた。さすが、伊達に原作で鬼畜を何年もやっていない。年季が入っている。
「……寝言は寝ていえよ。無理すんじゃねぇ。ジジイの癖しやがって、張り切るのも見苦しい。さっさと独りで寝ろ。八戒のことは心配すんじゃねぇ。腰が抜けるほど、俺が可愛がってやる。こっちによこせ」
 隣の奥さんのはずなのに、玄奘さんはわけのわからない宣戦布告をしだした。
 三蔵の紫暗の瞳と、ニィの闇色の瞳が真っ向からぶつかり合う。玄関先は、にわかに高圧電流でも流れているかのような、緊迫した空気に包まれた。
 しばらくの無言の睨みあいの後に、口火を切ったのは、三蔵だった。
「……分かってねぇようだな、ニィ。てめぇはこの回覧板でも喰らえ」
 三蔵は渾身の力を込めて、ニィ健一の頭上へ回覧板を振り下ろした。それをニィが片手ではっしとばかりに受け止める。
「挨拶がなってないネェ……嫌いな人にでも挨拶はちゃんとしなさいって、教わらなかったの? ……光明パパに」
「! 」
 三蔵の形相が変わった。
 二人はにらみ合った。どちらも一歩も譲らない。
「止めてくださいッ」
 とうとう、八戒が叫んだ。
「夜中なんですよ! ご近所迷惑です! あなたも三蔵も……」
 八戒の切なげな言葉に、鬼畜攻めふたりが怒鳴り返す。
「ちょっと待て! 八戒。てめぇ、ナニが『あなた』だ。ふざけんなよ。俺じゃなくて、こんなニヤケ野郎に……! 」
「八戒ちゃん! 黙って聞いてれば、何その馴れ馴れしそうな言い方! お隣さんなのに三蔵って呼び捨て! なにソレ! やだなもう! ボク妬いちゃうよ! 」
 ぎゃぁぎゃぁ喚き散らして収拾がつかなくなった。業を煮やしたのか、ニィが八戒をがばっと、抱き上げる。
「あああ! もう変態なお隣さんにはつきあいきれないよ! さ、いこう八戒ちゃん。寝室行こう! 」
「待て! ニィ! 変態はてめぇだろ。ひとりでこの回覧板でも読んでろ! 」
 三蔵は、まだ手にしていた回覧板で博士を殴りながら、八戒の足を片手でつかんだ。
「い、痛いです! 」
「ホラ見ろ! 痛がってるだろうが! 降ろせ! 」
 三蔵はむちゃくちゃなことを言った。
「なんだよそれ! キミが手を離せばいいだけなんじゃないの? 江流ッ目つきだけじゃなくて性格も悪くなってない? キミ」
 ふたりの三蔵法師さまは八戒を挟んでレベルの低すぎる戦いを繰り広げている。
「ふたりともやめて……やめて下さいッ」
 修羅場だ。
 そこへ。
ピンポーン。
「ちわーす。ペ○カン便でーす。アマゾンさんから代金引換でお届けでーす」
 宅急便のお兄さんが現れた。長めの紅い髪に、逞しい体躯の男前だ。手には小包を持っている。作業着のつなぎを着た姿は颯爽としていた。
「ハンコお願いしまーす。って……あのう」
 悟浄は、届け先であるニィ家の玄関先を覗き込んでびっくりした。
 何しろ、ドアは粉々になっているわ、スリッパは散らかり放題だわ、傘立ても倒れてるわ……それより何より、男ふたりが、黒髪の美青年を挟んで争ってる。
「いやぁッ……いやです! 何考えてるんですか! あなた達! 」
 八戒は、気がつけば男ふたりに好き放題にされそうになっていた。エプロンを残して、服は全て剥ぎ取られている。
「しょうがねぇ、ニィ、どっちがいいか、八戒本人に決めてもらおうじゃねぇか」
「あー? いいの? いいわけ? そんなこといっちゃって、もー。キミ、三十代のテクってもんが分かってないんじゃないのー? これだから坊やは」
「うるせぇ。黙ってろジジイ。イクのが遅けりゃいいってもんじゃねぇだろ。俺のが……」
「あっあっ……ダメ! そんな……」
 八戒は頭を三蔵に、下肢をニィに押さえ込まれ、串刺しにされようとしていた。
 そんな淫猥な空気の中、悟浄が頭を掻きながら間に割って入った。
「……いい加減にしろよ。あんたら。ハンコお願いしたいんですけど! 夜の時間指定なんスよコレ」
 初めて悟浄の存在に気がついたといった様子で、ニィと三蔵が言った。
「何、お兄さん。悪いけど見て分かんない? 取り込み中なんだよね。今」
「河童、3Pでやっとだ。玄関は狭いからな、4Pやる余地ねぇんだ。だから、そこで八戒がどっちが気持ちよさそうか判別してろ。頼むぞ」
「…………」
 悟浄の目が点になった。呆れてモノが言えない。
 そこへ。か細い声がした。
「ごじょ……お願いごじょ助けて……」
 鬼畜ふたりがかりで犯されかけている八戒が、助けを求める。
「なんだ! てめぇこの宅急便屋と知り合いか! 」
 三蔵が唸る。
「ナニ、八戒ちゃん。ひょっとしてボクのいない間に、こんなお兄さん、連れ込んでたりしてたの? それ……お仕置きだよねぇ」
 ニィのメガネが白く光った。
「あ……や……どうして人の言葉をそういう風にしか受け取れないんですか! あなた達は! もう  いいかげんパラレル設定から離れて下さいよ! 」
 それは、ふたりとも鬼畜攻だからだろう。
「わかった。玄関先だけど、アレだ。俺は手で我慢してやるってぇのはどう? 」
 突然、悟浄が何故か参加する気満々で言った。
「しょうがねぇな」
「えー? 4Pって動きにくいんだよねェ、実は。難しいよ?」
 ニィは不満そうだ。せっかく若い男の子と新婚さん気分だったのに、という落胆を隠しもしない。
「当然、次は俺ね」
「ふざけんな河童。次が俺に決まってるだろうが!」
「……あなた達、人の話聞いてます? ……あ! 動かないでッ……あ……ん……ダメッ」
 八戒はそれっきり、嬌声以外上げられなくなった。ニィに脚を抱えて、穿たれたのだ。
「ああ……ぅ……ん」
 細腰に男の熱い切っ先を咥え込まされて、八戒が身悶えする。甘い吐息をついていたが、それも三蔵が、上の口を犯しだすまでのことだった。
「ちゃんと、舌使え。できるな」
「ぐ……む」
 右手は悟浄の硬く張り詰めた怒張を握り込まされた。上下に扱くことを要求されて、苦しげに身をよじる。
「は……ぁ……ぐ……」
 男三人に蹂躙され、かわるがわる犯され、八戒の夜は更けていった。

 マンションの玄関先で、爛れた夜は終わりそうにない。



 了 ?