HAPPY BIRHDAY!!

 朝の匂いがする。
「なんか、こんなに寒いと鍋とかっていいよな」
 悟浄がぼそっと呟く。11月も上旬の寒くなってきた朝のことだ。歩くたびに落ち葉が乾いた音を立てている。周囲の木々も葉を落として寒そうだ。八戒がジープの運転席のドアを開けた。
「へー、悟浄、鍋なんて好きでしたっけ」
 かすかに機械油とガソリンの匂いがした。陽を浴びて、車体がワックスでもかけたてのようにまぶしく光っている。
「いや、俺、実は鍋とかそーんなには喰ったことないのよ」
 たはは、みたいな笑い顔で悟浄は言った。ややつりあがり気味の眉が下がり気味になる。頬に傷まであるチンピラ風の外見に、ほのかに愛嬌が加わった。
「なんか、そういうアットホームなのって縁がなくってさぁ」
 どこか決まり悪げに呟くと、額につけたバンダナを軽く片手で押さえ、ジープの後部座席へ長身をかがめ颯爽と乗り込んだ。シートが軽くきしんだ。
「ナベ? なべなべ? それってば確か喰いモンだよね」
 すかさず、悟空がマントを翻して現れた。車のドアを開けもせずに片手をジープの車体へつき、飛ぶようにして悟浄の隣へと乗り込む。ほとんど音もなく後部座席におさまるその所作はまるで体重を感じさせない。さすがは斉天大聖 孫悟空といわんばかりの鮮やかな身のこなし、大向こうから掛け声がかかりそうな神業だ。この金の瞳をした少年は快活にふたりの会話に口を挟んできた。
「ナベ、なんだっけそれ。あ、そうだそうだ思い出した。慶雲院で、八戒つくってくれたじゃん。雪の日にさ。なんだっけタニ? なんか入っててさ」
「タニじゃなくってカニです悟空。あーそんなことありましたよね」
「俺、結局どんな味だったかちっともわかんなかったんだけど」
「ちょ! お前がほとんど全部食ったんろうが」
 悟浄が紅い長い髪を揺らして叫ぶ。着ている革ジャンが朝日を浴びて鈍く光った。
「あはははは。カニは高いですからねぇ。あまり買えなかったんですよ」
 黒く艶のある前髪が揺れた。ジープの運転席に座って、キーを入れセルを回す。頼もしい駆動音が地響きのように鳴り、エンジンのここちよい振動がハンドルを握る手に伝わった。
「贅沢いうな。てめぇらなんざ、何食ったっておなじだろうが」
 横から冷たい低い声がした。助手席の最高僧様だ。白皙の美貌はその表情に何の関心も浮かべてはいない。
「まー確かにさぁ。量が少なかったらお腹すいちゃうしさー」
「てめぇを基準にしてんじゃねぇよサル」
「なんだよ! 悟浄だって似たようなもんだろ! 」
 茶色い髪を揺らし金色の目、火眼金睛が光る。手の如意棒をつかむ力が強くなった。
「だから、てめぇと一緒にすんじゃねぇっっつてんだろ」
 賑やかな後部座席をよそに、ジープは軽快に発進した。八戒がアクセルを踏み、シフトレバーを操ってギアを変える。周囲の景色が、人のいる気配のある人家から、次第にさびしい晩秋の林になった。安定した走りに安心して、八戒はさらにアクセルを踏む足に力を入れた。上を見れば空は抜けるように青かった。
「やかましい。黙ってろ。うぜぇ」
 すかさず、青筋を立てて最高僧が後ろに向かって怒鳴った。長い僧衣のたもとから、マルボロの箱を取り出すと、器用に一本、口へと咥えた。
「火!」
 傲岸不遜に後ろへ言い捨てる。
「知らねぇよ! てめぇでライターくらいつけろよ! バァカ! 」
「……つくづく役に立たねぇ腐れ雑巾だな。てめぇ」
 美しいがきつい光を放つ紫の瞳が悟浄を睨む。
「は! オタクなんかボロ雑巾だろうがよ。八戒が助けなきゃよ」
「……命がいらないらしいな。てめぇなんざ、牛乳拭いて腐った雑巾みてぇな野郎のくせに」
 その白皙の額に透けて見える静脈がみるみるうちに浮き出てくる。
「うるせぇよ。金髪ハゲハゲハゲハゲ! このハゲボロ雑巾が」
 紅の髪をした男前は、負けじと言い返した。売られた喧嘩は高値買取なのだろう。
「この……」
 ガゥン! 間髪いれずに銃声が鳴った。助手席の最高僧様が発砲したのだ。硝煙の匂いが濃く漂う。硝酸と硫黄と炭の燃える、きな臭い匂い。火薬を吐き出しきって空になった真鍮製の小さい筒――――薬莢が山吹色の光を放ち、転がり落ちる。キンッとジープの車体に跳ね返る金属音がした。
「あっあっぶねええ死ぬ死ぬ! もー少しで当たる! 」
 後部座席のふたりから抗議の声があがる。ふたりとも超人的な身体能力で、S&Wの弾を避けたらしい。
「避けるな! 」
 眉間に青筋を立てて三蔵が叫ぶ。
「避けるに決まってるだろこの鬼畜ボーズ! 」
「2ミリ! あと2ミリ避けそこねてたら当たってた。さんぞー! 」
 悟空には弾頭が見えたらしい。
「だから避けるんじゃねえ」
 ジープの駆動音に混じって、銃の撃鉄を起こす不吉な鋭い音が響いた。その手に握られたスミス&ウエッソン、M60が銀色の物騒な光を放つ。脅しでない証拠に珍しく両手で三蔵は照準を定めた。
「今度は外さねえ」
 端麗だがひとの悪そうな表情で口元を歪める。輝く金の髪に銀の銃。いまや彼は僧侶というより高貴な死神のようだ。
「やめて下さい三蔵ッ! ジープに当たったらどうするんですか」
 すかさず、運転している八戒が真剣な口調で隣をたしなめる。
「ちょ! そこ?! ジープに当たったらって」
「そーいう問題じゃねーよな、八戒サン? 」
 ぎゃあぎゃあと抗議の声が後部座席から上がった。車の上は蜂の巣でもつついたような大騒ぎだ。
 相変わらずだった。本当に相変わらずだ。なんというワンパターンだろう。
 八戒は頭が痛そうに片手で額を押さえた。バンダナの乾いた布の感触がその指に伝わる。ジープのステアリングを操作する手が重くなった気がした。
「もうやめて下さい。僕、なんだか頭が痛くなってきちゃいましたよ」
 一段音階の落ちた暗い声で八戒が言った。三蔵が隣から気遣わしげな視線を送り、不承不承といった態で僧衣の懐へ銃をしまう。
「そういやお前」
 悟浄が後部座席から、少し決まり悪げに八戒へ声をかけた。
「……昨日の夜、遅くまで宿の台所でなんかしてたもんな。睡眠不足とかか? 」
 紅い髪を片手で掻くと、仕方ねぇなホラよ、みたいな調子でライターを持った手を助手席の三蔵へと突き出した。
「……え、気がついてたんですか悟浄」
 八戒の声音がやや強張った。隣で三蔵が感謝のかけらもない邪険な仕草でライターを受け取っている。
「えー! 何なに八戒! 台所でつまみぐいとか?!」
「ばーか違うだろサルじゃあるまいし。……いやでも、ホント台所なんかで何してたんだよ」
「い、いえ別に」
 マルボロに火をつけていた三蔵が、ちら、と隣の運転席の方へ視線を送る。紫色の瞳は、何か考えているような光を浮かべている。
「フン」
 面白くなさそうに、最高僧はふかぶかとマルボロの煙を吸い込んだ。紫煙がたなびき、タバコの匂いがただよう。
 そして次の瞬間、三蔵はふりかえりもせずに後ろの席へライターを投げた。きらめく銀色のジッポーのライターが空を舞う。
 それを悟浄がすかさず右手で受け止める。小気味の良い音が立った。慣れた仕草だ。
「やあねぇ八戒サンってば夜更かしは美容の敵よ。……何よ隠し事? 」
「い、いえなんでもないんですよ」
 八戒はあいまいな表情で困ったように笑った。

 そんな調子で、今日も三蔵一行は西への道をジープでひた走っていた。


 そうやって、何時間もジープで道を走って走って。


 ようやく夕暮れになった。


 夜は更け始めていた。闇の気配を孕み冷やされ地面がしっとりとしている。ジープを止めて宿の前へ降りる。足元で砂利の感触と石と石のこすれる鈍い音が立った。
「今日も野宿はしなくてすみそうですね」
 八戒がほっと溜め息をついた。
「あー」
「やたらジープに乗ってる時間が長かったけどよ」
 紅い髪の色男が首を左右に回す。長時間ジープに揺られて疲れたのだろう、首を曲げるとかすかに頚骨の鳴る音がした。

 宵闇が、その優しい帳をようやくそろそろと降ろそうとしている。そんな時間だ。

 目の前の宿は、古式ゆかしい旅籠屋はたごやだった。
 その古そうな木目が浮き出たドアを開けると、きしんだ音を立てて開いた。同時に涼しげな鐘の音が頭上で軽快に鳴った。
「部屋、空いてますか? 」
 八戒がたずねる。

 東洋風のランタンが天井から幾つも釣り下がっている。ぼうっとした明かりがそこかしこを照らす。三蔵たちの影も、4人分床へと影絵のごとく落ちている。幻燈のようだ。
「ちょうど、大部屋が空いているようですよ」
 八戒が背後で待っている仲間へ振り向いた。うれしそうに顔が輝いている。
「大部屋? 」
「個室じゃねぇの? 」
「まぁ、いいじゃないですか」
 にっこりと 「人畜無害」 そうな笑顔を振りまきながら、八戒は言った。
「今日ぐらい、4人一緒だっていいでしょう」
 意味深な言葉を言うと、八戒は受付へ向き直って、宿泊の手続きをした。
「三蔵、カード貸して下さい」
 振り向きもせず、手を後ろへと突き出す。黒く縁どられた緑色の袖が揺れた。
 ほとんど無言で三蔵がその白い僧衣のたもとからカードを出し、八戒の手へと渡した。古風な紙でできた宿帳にサインをしながら、八戒が呟く。
「本当に、三蔵のカードは魔法のカードですよねぇ」
 いつの間にか黒髪の男は目じりを下げて笑っている。
「ほざけ」
 金の髪をした最高僧様は面白くもなさそうに、マルボロをふかしていた。そんな不機嫌な最高僧をよそに、八戒は宿のひとへ、いろいろとわけのわからない頼みごとをしている。
「あれとこれとそれ、お借りできますか? ……これ、売っていそうなところってどこですか? 」
「ああ、それなら、ウチでもご用意できますよ」
「有難いですねぇ。お願いします。でも部屋で使いたいんですが」
「いいよ。火の始末にはくれぐれも気をつけてよ」
「ははは。分かりました。気をつけます」
 そんな、謎めいた会話をえんえんと宿側と交わした後、八戒は振り向いた。
「ああそうそう。悟浄、悟空」
 三蔵へさりげない動作でカードを返すと、黒髪の男が突然言った。
「ちょうどタバコ、切れちゃったんですよ。買ってきてくれます? 」
「はあ? 」
 悟浄は、ひときわはねるように飛び出た紅い前髪を震わせた。
「ちょッ。もう外、夜なんですけど!」
「悟空頼みましたよ」
 八戒の右目にはまったモノクルが部屋の明かりを跳ね返して白く光る。
「わかった! 」
 まるで、羽交い絞めにするように、
 悟浄の左腕へ悟空が自分の右腕を回してきた。ものすごいバカぢからだ。これじゃほとんど河童は捕獲されたみたいなものだった。
「いってきまーす! 」
 ずるずると悟浄を引きずる形で、悟空は宿のドアを開けた。悟浄の長身をものともしない。小柄なくせにおそろしい力だ。
「いやだっちゅーの! ようやく着いたっつーになんだってまた外になんざ」
「あーお疲れさまでーす。しばらく外で買い物しててくださいねー」
 八戒が片手で拝むようにして笑顔でふたりを見送る。
「承知ッ」
「いやだっちゅーの! 」
 悟浄は抵抗できなかった。悟空の怪力はバカにできなかった。しかも何故か今日の悟空はふりほどくなら死闘になるくらい気合が入ってた。本気だった。
「行くぜ悟浄」
「マジで?! 」
 嫌々、悟浄は知らない街の知らない商店街へとひっぱり出された。



 いつの間にか、雲の狭間に玲瓏とした上弦の月がぽっかりと浮かんでいる。


 さんざん街を連れまわされて、悟浄が悟空に引きずられるようにして宿に戻ったのは、それから1時間は後のことだった。
 泊まる宿の部屋は2階だ。歩くと木造の階段がきしんで鳴った。経年変化で床があめ色になって光って美しい。古いが、綺麗な佇まいだ。手入れがいいのだろう、そんなに大きな宿ではなくこぢんまりとしているが、つくりもしっかりとしている。部屋をつなぐ廊下には、花格子で縁どられた東洋的な窓が嵌り月の光が射しこみ華麗だ。泊まる大部屋は、廊下のつきあたりのようだ。
「おー、タバコ買ってきた」
 悟浄が部屋のドアを手の甲で2、3度、軽く打った。片手にマルボロとハイライト、2つの銘柄が幾つも入った紙袋を抱えている。
「あー、ご苦労様です」
 部屋で何か作業でもしている気配の後、八戒が顔をだした。そーっと開けると素早く後ろ手にドアを閉めた。
「んじゃ、俺はちょっと野暮用があるから」
 悟浄は紙袋を親友に渡し、そっけなく言った。背の高い体躯を元きた方向へとひるがえし、肩をすくめてきびすを返した。悟空とぐるっと回った今日泊まる街はそれなりに大きかった。あの様子では賭博場も、酒場も、売春宿でもなんでもあるだろう。少しは稼げるに違いない。生業に励める。ありがたいことだった。
「悟浄ッ待って下さい」
 八戒は声を荒げた。
「出かけるんですか? 」
 らしくない、上擦った焦りを含んだ声だった。親友の咎めるような言葉に河童が眉をしかめる。
「何よ、なんか問題でもあんのかよ」
「い、いや問題っていうか……」
 八戒は慌てて、自分の口を右手で押さえた。何か、言ってはならないことを言ってしまいそうだった、とでもいうような仕草だ。
 次の瞬間。
 バン!
 悟浄は後ろから何かが乗ってきた衝撃に倒れた。そう、悟空がまるで肩車でもしてもらうかのように、のしかかってきたのだ。その手で華麗に如意棒が舞った。
「八戒ッ。悟浄は俺が押さえておくからッ」
「なんだよバカザル。ひとの楽しみの邪魔すんじゃねーよ」
悟浄が顔に張り付いた悟空の手を引きはがそうと長身を折って暴れる。
「はぁ?! バカは悟浄だろ。ホント、酒とかタバコとか女のヒトとか何がいいのか全然わっかんねーよ」
 さすがは悟空だった。悟浄の抵抗をものともしない。中国雑技団もかくやという身軽さで、悟浄の首にしがみついている。
「童貞にゃ分からねぇよな。……どけよサル! 邪魔すんじゃねぇよ、なんなんだよ!」
 
 そのとき、

「準備できた」
 部屋のドアが開き、
 金の髪の最高僧様が、愛想ひとつない声で告げた。
「へ……? 」
 その不可解な声に、
 引き寄せられるように、悟浄が部屋に一歩入った。何かに招かれているように誘い込まれる。
 部屋には何か美味しそうな匂いがたちこめていた。ダシの匂い、肉の煮える匂い、海老や蟹の煮える旨みのこもった匂い、しょうゆの香ばしい匂い。そんな匂いが交じり合って食欲をそそる。
 悟浄は首を上へ上げた。紅い長い髪が肩先でさらさらと音を立てた。
 そこには、
 墨の滴る三蔵法師様の名筆跡で
『悟浄 たんじょうび おめでとう』 と書かれた横断幕が張られている。

「こ、これって? 」

「ほら! 悟浄ッ 鍋ですよ鍋! 座って下さい」
「うわすげ」
「ちょうど、上海蟹の季節なんだそうですよ11月は」
「うっはぁ、美味そうーッ! 」
 悟空が歓声をあげる。
「な、なにこれ」
 悟浄は部屋をのぞいて呆然として言った。
 そう。
 今日、泊まる部屋は異空間と化していた。
『悟浄 たんじょうび おめでとう』 
 そんな文面の書かれた横断幕が部屋を横切るように張られており、中央にむすっとした顔で硯を片付けている最高僧様がいる。八戒はその周囲へ色とりどりの薄紙でつくった花の飾りをセロハンテープ片手につけていた。
 15畳くらいの広さの部屋で真ん中にコタツが鎮座している。ベージュのもこもこした暖かそうな綿の上掛けをまとい、下には暖かそうなフリースでできた下敷きが敷かれている。
 そして、その上では赤色で塗装されたガスコンロの上に土鍋が置かれ、くつくつと音を立て、暖かな湯気がたなびいていた。
「ん、ちょうどいい煮え加減っぽいですね」
 八戒が、つやつやした翠色の座布団の上へ座り、土鍋のふたを開けた。昆布としょうゆの匂いがする。飾り切りされたにんじんや、しいたけ、しらたきがだしを吸って湯気の中でことこと煮えている。頭のある立派な海老がふちから顔を出し、立派な蟹がブツ切りになってのぞいている。滋味深さと旨みのない交ぜになった芳しい香りが立った。
「白菜、ちゃんといれたか」
「入ってますよ三蔵」
 八戒が微笑む。そして、そばで目を点にして雷に打たれたように突っ立っている長身の男へ声をかけた。
「悟浄! はい。とり皿です」
「…………」
 毒気を抜かれて、悟浄はずるずると近くの座布団の上へ座りこんだ。意表を突かれたのだ。
「た、誕生日? 」
「なんだ。忘れてたんですか自分の誕生日」
「だから言ったろうが。ヤル必要などないってな」
「忘れてんの? 年寄りみてぇ悟浄ってば」
 仲間3人が遠慮容赦のない会話をする。
「う、うるせぇなガキかよ、てめぇらこそ」
 日ごろ、いかにも筋者で色事に長けた悪そうなお兄さんという風情の悟浄も今日は形無しだ。
「さ、煮すぎちゃうとおいしくないでしょうから食べましょう」
「賛成だな」
「いっただっきまーす!」
「そこは  『悟浄サンたんじょうびおめでとう』  とかじゃねーの? ミナサン」
 悟浄が口端を歪めて弱々しく抗議した。
「は? これから女のところへ行こうとしてたヤツなんざ祝いたくもねーな」
 まなじりが下がっているくせにきつい紫暗の瞳でひと睨みされる。
「まあまあ」
 八戒がとりなすように目を細めて笑う。
「日本酒にしますか? それともビール? あ、悟空はサイダーでいいですか? 」
「俺だってビール飲めるもん」
「ガキが。オレンジジュースにしとけ」
「ははは。じゃ、鍋だから日本酒でいいですかね」
 お猪口ちょこと徳利を八戒が出した。もの凄く手際がいい。
「それじゃあ」
 八戒がうれしそうに猪口を前に掲げた。
「はーい」
 悟空がジュースの入ったコップを片手で自分の目の前まで上げる。
「おめでとう悟浄」
 黒髪の親友がしみじみとしたやさしい声で言う。
「これからもよろしく」
 こたつの上で、野菜や魚介を満載したく土鍋がくつくつと音を立てている。
「死ぬなよな悟浄」
 明るく悟空が唱和した。
「これ以上、足をひっぱるんじゃねーぞ」
 けっ、とでもいいそうな邪気のある表情で最高僧が吐き捨てるように呟いた。
「うるせぇ。本当に祝う気があんのかお前ら! 俺の誕生日に、かこつけて食いたいだけなんじゃねーのか」
 もっともなことを河童はわめいた。
「バレた?! 」
 にっと大きな口を笑みの形にして、くったくなく悟空が笑う。心を許しきった無邪気な笑顔だ。
「ちっカンだけはいいな」
 三蔵が、猪口の酒を口に運んだ。割と早い動作で飲み干した。
「まあまあ……あ、悟浄、そのカニ煮えてますよ」
「お、サンキュー」
 八戒が長い菜ばしで食べごろのカニを土鍋からあげる。ほこほこと湯気が立った。おいしそうな匂いがする。そのまま悟浄の器によそう。いそいそと世話を焼いている。
「これっこの肉も入れよ!」
 悟空が薄い豚肉の皿を手にとった。ピンク色の肉にきれいに脂が入った上物だ。
「その肉は一番最後だバカザル! 硬くなるだろうが! 」
 すかさず三蔵が怒鳴る。
「鍋奉行かよ」
 悟浄が呟く横で、悟空はちゃっかりと八戒にカニをよそってもらっている。
「うわ。カニって甘い」
 悟空が箸を止めて驚く。器の中では白身の鱈や蟹が艶やかな白い身を見せ、それに春菊の緑がアクセントのように加わって見た目にも綺麗だ。幾つもの食材の味わいが重なり、芳醇な旨みが凝縮して湯気に混じってただよう。食欲中枢を直撃する匂いだ。
「ほんとうですね。すごくおいしいですね」
 だし汁を含んだカニの肉は舌に乗せるとぷりぷりと弾力があった。美味しいものにありがちだが、歯の間や喉をつるっと滑るようにして次々と入ってしまう。滋味深く噛むたびに旨みが染み出てくるようなこくのある味わいだ。そのだしを吸った白菜も甘みがあって美味しい。
「上海蟹は蒸すのが美味しいっていいますから、蒸したのもありますよ。そちらは酢醤油がいいって聞きました」
 ことんと、蒸されて湯気を立てる真っ赤な上海蟹が4匹ほど乗った大皿を勧めてくる。悟浄が蟹の足をひとつとって、専用のハサミで割る。
「熱っつ」
 まだ、熱い蒸しあがったばかりの赤く堅い殻の中から官能的なほど白い身がむきだしになる。それを小皿の酢醤油に軽くつけ、ほくほくした白い身をほぐして口に含んだ。
「うわ、こっちもうまい」
 悟浄が目をむいた。じゅわっと舌を痺れさせるような美味だ。口に含んだとたん、確かに口悦としたいいようのない幸福感に包まれた。
「うますぎ。これうまいわ」
 透明感のあるくせに深みのある味が、酢醤油で引き締まり美味さを増して舌の上で踊る。
「あはは、よかったです。おいしいのが買えて」
 八戒は目じりを下げた。今日の主賓が喜んでくれて何よりだった。上品な仕草で日本酒を口にしている。
「すげぇ、これ高かったんじゃねーの」
「ははは、全部三蔵のカードです」
「けっ」
 三蔵は手にした日本酒をひといきに空けた。腐る三蔵を慰めるように、八戒が徳利を取り出して、その猪口へ新しい酒を注いだ。
 そんな調子で、宴も半ばにさしかかった頃、
 悟空とカニの取り合いをしている悟浄へ、八戒があわてて声をかけた。
「あっ悟浄、まだ、デザートを食べる余地は残しておいてくださいよ。僕、苦労したんですから」
「え? 」
 悟浄が目を丸くする。
「えーと。あははは。じゃーん」
 自分も少し日本酒を飲んで、ほろ酔いの八戒が後ろのテーブルから、覆いのかけられた四角い箱を取り出した。
「あははは。苦労したんですよう。昨日、泊まった宿の台所借りて、スポンジだけは焼いてきたんです」
 それは、
 本当に見事なバースデーケーキだった。
 白い生クリームでデコレーションされ、ぐるりと周囲をではじめのイチゴが囲んでいる。絞り器をつかったのか、まるでレースのように繊細なデコレーションだ。ケーキの中央にはチョコレートでできている黒い板の上に 『お誕生日おめでとう 悟浄』 と白いチョコレートで糸のように書かれている。八戒の筆跡だ。ほとんどプロと同じくらい素晴らしい手作りのバースデーケーキだ。
「思ったより早く悟空と悟浄が街から戻ってきて、飾りつけはなんとかセーフってとこでした」
 八戒がうれしそうに呟いている。
「それで、昨日、台所なんか借りてたのか」
 悟浄は……びっくりしていた。意表を突かれ続けていた。料理上手な親友の気持ちがうれしかった。
「……さんきゅ。八戒」
 ちょっと照れたように、悟浄は礼を言った。過酷すぎる少年時代を過ごしたこの男は、あまりこうした暖かさに慣れていない。いまだに慣れていなかった。もの凄く照れていた。
「ったく、河童の誕生日ごときにどうしてそこまでするんだてめぇは。そんな労力に見あわねぇだろうがこんなエロ河童」
 三蔵が手にした箸で悟浄を指した。最悪なお行儀だ。
「うっわ。いつの間に! こんなに三蔵ったらお酒空けちゃってる」
 金の瞳を見開いて、養い子が咎めるような声をあげた。こたつの上には空になった徳利が幾つも転がっている。
「飲みすぎですよ」
 八戒が溜め息をついた。いつの間にか空になった徳利を片付けようと腰を上げる。
「こんな野郎、どこがいいんだ」 
 金の髪の最高僧はなおも、ぶつぶつ猪口を片手に呟いている。
「しかも絡み酒かよ最低だな三蔵サマ。……俺と八戒は大切な親友どうしなの! お前なんか入り込めないような堅い絆で結ばれてんだよ、羨ましいだろバァカ!」
「……分かった河童、表に出ろ。ハチの巣にしてやる」
 とたんに、剣呑な気配が三蔵と悟浄の間に漂った。お互い本気だ。
「ああああ! もうッ。僕が渾身の力を込めてつくったバースデーケーキなのに。やめてください、三蔵、悟浄。ケーキにろうそく立てますよ! いいですね! ほら悟空、早く誕生日の歌、歌って下さいッ」
 八戒が険悪な場の雰囲気にたまらずに叫ぶ。
「ハッピバースデーツーユー ♪ 」
 悟空が素直に言われたとおり祝いの曲を歌う。
「はっぴばーすでーつーゆー♪ 」
いつの間にか、三蔵も真っ赤な顔をして歌に唱和している。
「……表に出るんじゃなかったのかよクソ坊主」
 悟浄が細い眉をつりあげる。
「ま、まあまあ酔っ払いですから」
 あわてて八戒がとりなした。

 しかし、
「……! 待て! 吹き消すのはフツー俺だろ俺ぇ! 」
「は! 遅せぇんだよバ河童が! 」
「今のはさんぞが悪いと思うぜ俺」
「……僕、コーヒー持ってきますね」


 こんな調子で、

 誕生日の夜は盛大に賑やかに更けていった。





 おたんじょうび、おめでとう、悟浄。






 終