なあ!!
ケガ治ったら俺が天界案内してやるよ。
誰も知らない隠れ家とか木苺が沢山なっているトコとか。
行く行く
ぜってー行く!!
「悟空ぅ――悟空、どこです? 」
八戒の声だ。空は青く美しくて怖いほどだ。白い雲が切れ切れに羽毛のように千切れ飛んでいる。
「悟空、このままお昼にしましょう。悟空――――? 」
森の木々のざわめきに、八戒の声が反響する。陽光を浴びて、緑は恐ろしいほどに冴え渡っている。
「悟空! 返事してください――――」
八戒が森の奥へ何度か呼びかけてしばらくすると
「八戒! 」
軽快な足音がした。まるで雲でも踏んでいるかのようだ。その足の下で木の枝が折れるかぼそい音が立つ。
「ああ、いたんですね悟空」
悟空専用保父さん、そんな面持ちの青年が、にっこりと笑う。
「俺、すごいとこ見つけた」
そのまま、八戒は手を取られた。緑の服のすそと、黒く艶やかな前髪が揺れる。
「え? 」
白い肩布を肩から腰へかけて結び、右目につけた片めがねの奥の目は戸惑っている。それにかまわず、悟空はうれしそうに言った。
「こっちこっち」
そこはそれなりの沢だった。ぴかぴかと光る小川、こそこそと潜む沢蟹、そして濡れた美しい森の下草たち。そんなのを踏みつけるようにして、悟空と八戒は川を渡った。
「なんですか悟空。もうお昼の用意ができてるんですよ」
如何にも優しい好青年風の八戒の顔が曇る。思わず額にはまった渋いオリーブグリーンのバンダナを手で押さえていた。
「もー少しだって」
悟空は意に介さない。いつだって八戒は自分の味方に決まってる。
いつだって。
そのうち、沢の突き当たりくらいに出た。あたりはうっそうとしている。森の緑が深い。木々や草に飲み込まれそうだ。シダ類が崖から生え、美しいすいかずらがその上を覆って茂り、白く甘い芳しい匂いをただよわせている。苔の匂いが、足元から立ち昇った。
「ほら、これ」
悟空がうれしそうに教える。白い一重のバラの花びらが落ちて周囲に散らばり、たわわに黄色の宝石のような粒が重そうだ。
「これは」
思わず八戒が見とれた。それはまるで、麗しい鉱石か輝石のようだった。トパーズでできたつくりもののようだ。細い枝は縦横に伸び、バラに似た優美な葉をそこかしこで茂らせている。そして、枝先に瑞々しい宝物のような実をつけていた。
「木苺ですね」
八戒が呟いた。
「きいちご? 」
悟空がオウム返しする。
「ええ、バラ科キイチゴ属に分類される植物の一種ですよ。モミジイチゴともいいますね。葉がもみじに似ているためこの名があります。黄色い実をつけるため木苺の別名があり、果実は食用になります」
ミニ知識を披露すると八戒は微笑んだ。
「すごい群生ですね悟空。よく見つけましたね。ここ」
八戒が感嘆するだけあって、すばらしい木苺の森だった。十重二十重に、木苺のトゲのあるつるが伸び、そしてたわわに黄色く丸い粒々した実が光っている。
「摘んでいきましょうか、悟空」
八戒は慶雲院時代の教え子に向かって微笑んだ。
「はは。素敵なデザートが手に入りましたね。悟空」
どこからとりだしたのか、八戒はビニール製のエコバックを手にしている。悟空はそこへ黄色い宝石を摘んでは入れた。
「うん」
ふわり、と高貴な香りが立つ。森の気取りのない澄んだ甘い匂いだ。イチゴの匂いだ。
「ちょっと多すぎかな」
木苺はたくさんあった。採っても採ってもきりがないほどだ。
「だいじょうぶですよ。木苺でしたらジャムにもできますし」
僕、得意なんです。すかさず付け加えるように告げると黒髪の保父さんは微笑んだ。
「実は、お昼、缶詰が多かったんですよ。悟空がこんなに素敵なデザートを見つけてくれて、三蔵や悟浄も喜びますよ」
にっこり、と微笑む。秀麗な青年は糸目になった。えりの立ったお行儀のよいつめえりを着込み、汗ひとつ見せない。
「すごいですね。誰も知らない隠れ家みたいですよ。こんな木苺が沢山なっているトコとか」
しかし、茶色い髪をした小猿ちゃんからは返事がない。
「悟空? 」
優しく八戒が呼びかける。森は深々として、すべての音を包みこみ、隠してしまうかのようにひっそりとしている。
「悟空、どうしたんです」
返事のない、かわいい年下の仲間へ、八戒がなおも声をかけた。
「悟空」
ようやく、全てを飲み込んだ八戒が、驚いた声をあげた。
「どうしたんです」
静かな森は鳥のさえずりも聞こえない。立ち込めるのは草いきれとバラに似た木苺の芳香と
かすかな泣き声。
「貴方、泣いているんですか。悟空」
極めて静かな調子で、八戒はささやいた。いや、それは優しい呟きに似た声だった。
「え……」
茶色い髪、翻る黄色のマント。羽織った戦装束も勇ましい、少年からの返事は意外なものだった。
「俺、泣いてる? 」
「ええ」
静かに八戒は返した。
「貴方、泣いてますよ」
「俺、泣いてる? 」
「ええ」
何度目か、分からないやりとりを八戒と悟空はした。
「なんだろ、俺、誰かと約束したんだ」
なあ!!
ケガ治ったら俺が天界案内してやるよ。
誰も知らない隠れ家とか木苺が沢山なっているトコとか。
行く行く
ぜってー行く!!
「悟空」
「俺、こんな風に、キイチゴっての? 一緒に摘みに行こうって誰かと」
金色の目に、涙が浮かんでいる。凶暴なほどに鮮やかな森の緑。白い雲に美しい青い空。またたくまに、その真珠に似た透明な雫は頬を伝い、あごから滴った。
「どうしたんですか。具合、悪いんですね? 」
八戒が心配して、悟空を抱きとめた。
「八戒、俺、誰かと約束したんだ」
思い出せない。
でも、きっとまたいつか出会えるから。
終