きんいろ

 きれいな、まんまるい月が天空の真ん中にかかる頃。
「今夜は月がきれいですねぇ」
 コーヒーをいれながら、僕は月に見とれていました。今夜の宿は素敵です。窓から、月の光が差しこんで、すごくきれいなんです。コーヒーの香ばしい匂いが部屋にただよって、なんだか優雅な雰囲気です。
 それなのに。
 三蔵ときたら、なんだか難しい顔をつくって、イスに座って新聞なんか読んでるんですよ。
メガネなんかかけちゃって、……いつもとなんだか様子が違います。
「そりゃ、すごい月あかりですけど、新聞まで読めますか? 」
 邪魔はしたくありませんでした。でも……思わず声をかけちゃいました。宿の天井を見あげると、白熱灯が申しわけ程度に光ってて、字を読むには、あまり明るくありません。
「目に悪いですよ。三蔵」
「ん」
 三蔵は眉根を寄せて険しい顔をしていました。どうも、生返事です。長いつきあいだから、言わなくたって声の調子とか表情でわかります。お見通しですよ。
「どうしたんですか? 」
 僕は手にしていたコーヒーを、三蔵の前に置きました。宿の、小さいテーブルの上で、ガラスの天板が、陶製の受け皿と触れあう硬質な音がします。コーヒーの香りが一瞬、いっそう強くなりました。
「チッ。面倒くせぇ」
 金色の髪を片手でかきあげ、ぶつぶつと呟いています。僕は、思わず、金色の頭ごしに、ひょい、と三蔵の手元をのぞいちゃいました。
 見ると、三蔵の中指に、金の輪が光っています。そう、アレですよ。いつも三蔵の手にはまって、その腕や手の甲を覆う黒い布地を、つなぎとめている金の輪から、布が外れちゃったんです。
 これじゃ、指輪です。中指にはまった、ただの指輪に見えました。
「あれ、困りましたね」
「しょうがねぇ」
 三蔵は面白くもなさそうに言うと、その指から金の輪を抜きました。その手の甲を覆っていた布地も手首の方へと落ちるのが、月明かりに照らされて見えました。窓の外からは、秋の虫の声が聞こえてきて、なんだか現実の光景だと思えません。
「ほら」
 どうした気まぐれでしょう。三蔵が、その金色の輪を指でつまんで、外して……僕の方へ差しだすんです。
「え」
 三蔵が、何をしようとしているのか、全くわかりませんでした。
「手、出せ。左手だ」
「さ、三蔵? 」
「こっちの指でいいな」
 びっくりしている僕にかまわず、そっとその金の輪を、僕の手に。
「さ、さんぞ」
 指先から、金の輪がくぐるようにして、三蔵の手で通されました。
「……しばらく、そのままにしてろ」
 それは、なぜか僕の薬指へはめられたんです。
「さ、さんぞ」
 なんででしょう。心臓の鼓動が早くなりました。
「うるせぇ」
 三蔵はあわてている僕にかまわず、目の前のコーヒーへ手を伸ばしました。優雅な長い指。そんな手で僕の指へこの金の輪を。だめだ、なんだか思考が停止してしまいます。
「今夜は月がきれいだな」 
「え、ええ」
 三蔵が静かに言うのに、僕は必死でうなずきました。
 なんだか、足元がふわふわして変です。どうしましょう。どうしたらいいんでしょう。

 
 お月さまに笑われている気がします。




―――――僕の手には、三蔵の 『きんいろ』 が夢みたいに光ってる。





 終