貴方と僕。ふたりだけ

 秋晴れの今日

 柔らかな日差しに心地よい風。自然に僕の気持ちも穏やかになる。
 家の主は居ない。綺麗に掃除した部屋と灰ひとつない灰皿。
 カエルがモチーフになってる僕専用のマグカップには、甘さは一切ない珈琲。
 (ふふっ、このマグカップは同居人である親友がパチンコの景品で持ってきたんですよ。
「コレ、お前専用な。」って。それが何だか嬉しくて、ずっと使い続けてるんです)
 まだ夕飯を作るにも早い時間だし、テレビを付ける気にもなれず僕は読みかけていたミステリー
小説を読むことにした。
「あ、そうだ」
 僕は一度自分の部屋に戻りベッドから一つのクッションを持ちリビングに戻った。二人掛けのソ
ファーに腰を落ち着かせると持ってきたクッションを膝の上に置き抱き抱えるように小説を開い
た。
 遠くに子供達の笑い声をBGMにし、活字に夢中になる。
 時折、カエルのマグカップで喉を潤し、また活字に集中する。
 主人公の大学教授が事件のトリックに気付いた頃、目蓋がすっと重くなり小説の続きを読みたい
気持ちと睡魔の狭間で、僕はそのままクッションを抱くように寝てしまった。
 そのクッションからはあの人の香りが僕の鼻腔を擽る。この家にも僕の部屋にも一切そぐわない色を放っている。濃い紫色のジョーゼットベルベットだ。肌触りはなめらか。このクッションだけが高級感を醸し出している。僕を闇から救い上げ、いつも道を間違わないよう光の目印を指してくれる彼。友情ではなく愛情を与え合える人。彼が泊まりにくる時は必ずこのクッションを使うのだ。
「ちゃんとした枕、用意しなきゃですね。」と言っても彼は「要らん。必要ない。」の一点張り。
 確かに、一緒にベッドで目覚める時にはこのクッションは必ずベッドの下に落とされてる。彼が
 枕として使う事は滅多に無いのだ。
 彼への想いや香りを楽しみながら心地よい眠りを楽しむ。
 どれくらい経っただろうか。
 不意に僕の前髪を掻き分ける指先。
「ったく、」
 いつの間にかソファーの足許に落ちた本を静かに拾い上げ、少しだけ僕の身体が傾いた。
 嗅ぎ馴れた煙の香りに、目蓋が少しづつ光を受け入れた時、彼が僕の隣で煙草をくわえていた。
 小説の表紙のタイトルだけを見て眉間に皺を寄せている。
「ぁあ、いらしてたんですね。」
「何時まで寝てるつもりだ。」
「いやー。すみません。うたた寝のつもりが。」
「フンッ。もうすぐ日が暮れるぞ」
「ははっ。うたた寝…どころじゃないですね。」
 いつの間にか、秋の太陽は沈み、空は美しいグラデーションを奏でた雲が広がっていた。
「ぁあ、もうこんな時間だ。すぐに夕飯作りますね。」
 そう言ってソファーから立ち上がろうとした僕の腕を掴み、彼は小さなリボンの付いた白い箱を
寄越した。
「おい、その前にコレだ。」
 僕は、渡されたその箱を丁寧に開けた。そこには、小さなショートケーキ。苺はひとつだけ。
「あ、なんて可愛らしいケーキなんですか。」
 ケーキを目の前にかざし、彼を見る。照れ隠しなのか、そっぽを向き短くなった煙草の煙で表情
を隠している。
「ありがとうございます。」
「今日は、外に食べに行くぞ。」
「…はい。」
 もう一度、ケーキを白い箱に隠し、冷蔵庫へ保管する。
 彼から、特別に「誕生日おめでとう」とか、そういう言葉は無くてもしっかりと伝わってるんで
す。
 いつも気にかけてくれている事。心底、愛されてる事。何にも言葉は必要ないんですよね。僕ら
の場合。
 でも、時にはしっかり言葉で伝えなければならない時もある。お互いにその時は承知しているつ
もり。
 だって、きっと、この小さなひとり分のケーキはふたりで分け合う筈だから。恐らく、ベッドの
中で。
 貴方と僕。ふたりだけ。





―――― 20170921 CHO HAKKAI